もう何度も観てきた映画なのですが、また観てしまいました。というか観終わってもう一度観たい気持ちが渦巻いています。あまりそうそう観返すのも気が引けるのですが。
何故この映画をそんなにも観たくなってしまうのでしょうか。
本作はまずはレクター博士という映画史上でも指折りの強烈なキャラクターの魅力が中心となっていることは否めないでしょう。
アンソニー・ホプキンス演じるハンニバル・レクターは結構がっしりとした体格の初老の男といった風情です。それほど特別な美形というわけではありません。
が、観た者はそんなことなどどうでもよくなってしまうのです。
彼の魅力は人間離れした知識と思考力、そして猟奇的殺人鬼でありながら優しさと紳士的配慮を併せ持っていることです。ハンニバル・レクター=アンソニー・ホプキンスの出演時間は十数分らしいのですが、観た者はとてもそう感じはしないでしょう。
FBI捜査官候補生であるクラリスが彼にのめりこんでしまっていったように私たちもレクターのカリスマにはまり込んでしまうのです。
しかしこの映画を何度も観返してしまう最大の魅力は私にとってはクラリスにあります。
クラリスを演じたのはジョディ・フォスターですが、この役を別の俳優がやっていたのならこれほどにははまらなかったに違いありません。
もちろんこの演出を施したジョナサン・デミの手腕とセンスは当然なのですが。
ジョディ演じるクラリスはこれまでの多くの映画ヒロインとはかなり異なるキャラクターです。
ヒロインには当然といっていいほど彼女を支える男性パートナーが登場するものです。
それがFBI捜査官(候補生)というような男勝りなものでも、いやそういうものであるほど女性の弱さを補強する男性役が必要となりがちでしょう。
が、彼女にはよくある手助けしてくれる同僚や先輩的な恋人役は存在しません。
とはいえ男性を惹きつけるチャーミングな美貌を持つクラリスの横には絶えず男性の笑顔が性的に向けられています(と演出されています)
FBI上司、対立することになるチルトン博士その他登場する男性はクラリスの魅力に惹きつけられていますし一人ははっきりと彼女に好意を表示します。それはレクター博士も同じです。
クラリスはハンサムな上司も好意的な男性にも異性として関わることは望みませんでした。
無論、クラリスがレクターと結ばれるのは一般常識的な恋愛や結婚などではありません。
ふたりが肉体的に結ばれたのは書類を渡した時に触れた互いの指先だけの交流です。
問題なのはその書類にはレクターの知識と思考が記されていたことです。
クラリスは書類でレクターに問いかけ、レクターはその書類に自分の知恵を記録しました。
離れていく寸前だった時、レクターは「クラリス!」と呼びかけクラリスは自ら制止を振りほどいて彼の元へ走り寄りレクターの知恵(レクターそのもの)を受け取ったのです。その時一瞬ふたりの指先が触れ合います。
これは瞬間的な男性と女性の交尾でした。
そしてクラリスはレクターの知恵を自分の経験値として保存します。
この時その補佐をしてくれたのは同期生らしい女性の友人です。
クラリスが対等に好意を持っていると示唆されるのは彼女だけということも考慮しなければなりませんね。
付け加えるとクラリスに好意を持たないのはバッファロー・ビルだけです。(返すクラリスは当然のこと)
彼(彼女)は大柄な女性のみに性的欲求があったので細身のクラリスには興味が持てなかったわけです。
ほんとうに不思議な作品です。
クラリスはいつも男性の性的眼差しを受け続けているのですが彼女がそれに常に反感と嫌悪を感じています。そして彼女は最後まで異性の好意を受け取って恋人として認めはしません。
クラリスが恋をしたのは自分の奥底を見つめて認識しその感情を受け取ってくれたハンニバル・レクターだけでした。
が、レクターは思慮深い紳士です。その恋が何を意味するかは解っているのです。
ふたりの恋は触れ合う指先だけでいいのでした。
そしてクラリスにもそのことはわかっていました。
だからこそレクターは彼女を愛したのです。