ガエル記

散策

『王の男』イ・ジュニク

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イ・ジュニク監督作品鑑賞シリーズ。これは当時買ったDVDでの鑑賞です。

私はこの映画があまりにも好きで聞けも読みもできない韓国語豪華版セットまで買ってしまいました。

そして何度も何度も観てきました。今回はしばらくぶりの鑑賞になりましたが物語は全部覚えているにもかかわらず大泣きしてしまうという羽目になっています。

何故この作品がこうも心をかきむしるのかわからないほどです。

しかしこの映画は実に多くの人の心の琴線に触れるようです。

本作は韓国での公開時に記録的な大ヒットとなったそうです。低予算製作で俳優陣もさほど有名ではなかったようなのにいったいどうしてそれほど観客を引き寄せたのでしょうか。

日本でのレビューを見ても高い評価が目に留まります。

身分の低い芸人が王の目に留まりとりわけ美しい容貌の青年コンギルは王の寵愛を受けることになるが幼いころから彼とともに育ち芸をしてきたチャンセンにとってそれは耐え難い状況だった。

コンギルが夜伽に呼ばれるたびに苦渋の顔になるチャンセンですがコンギルを見ると優しい表情に変わるのが切なく思えます。

同性愛をはっきりと描いた作品であるのに一般からここまで高評価で受け入れられているのはコンギルとチャンセンのつながりが同性愛というよりは家族であり兄弟愛に思えるからでしょう。

王の寵愛を受けるコンギルに不貞腐れていたチャンセンが彼の命が狙われているのを目撃するや自らの危険も顧みず駆け出していく姿に打たれてしまうのです。

同じくコンギルもチャンセンの愛情を絶対的に信じている様子が伺えます。

 

イ・ジュニク監督は(韓国映画では必須ではあるのですが)家族・兄弟の深い愛を描く人です。

コンギル・チャンセンの深い愛情と対照的なのが王その人です。

傲慢な狂気の王、になった理由は親の愛を求めたのにまったく与えてもらえないまま育ったからだ、とこの作品は語ります。

イ・ジュニク監督は『運命の王』でも同じように肉親の愛の大切さを語っていました。『ソウォン』で幼い少女が耐え抜けたのは両親の愛情のおかげだと語っていました。

 

コンギル・チャンセンがどんなに惨い仕打ちにあっても彼らの愛情が強く深まっていくのに対し、王の心は空っぽのままです。

愛情を与えられなかった者は愛し方が解らない、という話は残酷で悲しいものですがやはりそうなのだろう、と思います。

その愛が実の親でなくてもいい、というのはコンギルとチャンセンが実の兄弟ではなくても兄弟愛を感じさせることに表れています。

 

コンギルの美しさには当時も驚きましたし、今見ても衝撃的です。

兄貴のチャンセンの男振りにもほれ込みました。このかっこよさはあり得ない。

そして「王」

一番悲しいのは王様なんですよ。

もし彼が愛情を理解できる人であったなら。

いいですか。子供に愛情を注がないとこういう人間が出来上がってしまうのです。

現実にもけっこうたくさんいるのを見かけます。

そういう人はコンギルとチャンセンの愛情に嫉妬して破壊するのですが本人に愛情は得られません。

かわいそうな王なのです。