愛する娘をレイプされ殺害された父親の復讐劇という韓国映画なら絶対に見ごたえあるだろう予感通りにやはり凄い作品でした。
上にある画像は鑑賞後に見たので原作が東野圭吾で日本版映画が先にあるのは知りませんでした。しかし日本版映画には辛辣な批評が並んでいますね。比較しようかとも思ったのですが日本版レビューの内容でおおよそ見当がついた気がします。しかも韓国版の後に観てしまうとかなりイライラしそうです。
ただし原作は良質のように感じられます。
父親は平常ではむしろ気の弱いおとなしい男性なのが娘を残酷に奪われたことで狂気となっていく様子が痛ましい。
ごく平凡で目立たないような娘が親にとってはかけがえのない存在なのだ。
映画紹介の写真を見た時、寒さのせいもあるのかもしれませんがもっと年を取った男だと思っていました。
しかしそれだけでなく父親はこの短い間に自分の生きる力を消耗しつくしてしまったからではないでしょうか。映画はそのように伝えていると思います。
父親はもう何も見えていないのです。彼の目に映っているのは殺すべき少年たちの姿と時折思い出すあどけない娘の姿だけなのです。
父親の体はほんとうならばもう動ける体ではないのです。
何度も殴られ蹴られアスファルトに打ち付けられ骨も肉もずたずたになっているのを精神だけで動かしているのだと映像は説明します。
ただひとつ娘を破壊してしまったやつらを殺してしまうことだけが父親を生かしているのです。
こんな映画があるということは韓国も日本も同じように被害を受けた者がさらに辛い思いをしていかねばならないという現状があるからなのでしょう。
あの少女を殺した奴らは殺してしまえと思いながら観ていました。父親の行動を止めたくはありません。
だけどそれもまた悲しいのです。
それよりもそんな事件自体をなくしたい。
いったいなぜ少女がレイプされ殺されなければいけないのか、を考えたいのです。そこを無くさなければいけないんですよね。
いつかこの答えになるような映画が作られることを願いたいです。