ガエル記

散策

『コンタクト』ロバート・ゼメキス

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何度も観ている作品です。

最初観た時はあまり良さがわからずにいたような記憶があります。

しばらく間を置いて観返した時突然その面白さに気づき慌てました。

それからも何度か観て今回再々再再度観てこの素晴らしい映画をなぜもっと世界は騒がなかったのかと悔やむ気持ちがあります。

そして言いたい言葉が溢れてきて書くのに困っています。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

 

今現在この映画について最初に語りたいのはやはりジョディ・フォスター演じる主人公エリー博士の存在・生き方です。

 

さてこの映画で主人公が彼女ではなく原作者カール・セーガンが男性主人公を描いていて俳優ももちろん男性であったらもしかしたら本作はもっと有名で人気が出たのかもしれません。

ひたむきに研究を重ねる男性に優しく尽くす美しい女性がそばにいて彼を励ます。そうであったら『コンタクト』は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を越える人気だったかもしれません。

しかしたらればを言っても仕方ないのです。しかもカールもゼメキスも正しくそして嬉しい判断をしてくれたと私は信じます。

 

映画の中においても主人公エリー博士は女性であるがゆえの苦難を味わいます。これも嬉しい判断ですが映画ではいちいち「女性だから差別されている」「女性だからまともに扱ってもらえない」という台詞は出てきません。しかし彼女が女性であるからこそ冷や飯を食わされていることはわかります。

「砂漠の巫女」と揶揄されている話が学会でエリー博士をどう位置付けているかを知らしめています。

そして彼女を長く貶めていた男性学者が彼女の発見を知った途端その成果を奪い取ってしまう。

しかしながら不慮の事故のためにやっとお鉢が回ってきたエリー博士が体験した宇宙探求は「すべて幻想に過ぎなかった」と一蹴されてしまう。

その後に続く審問はガリレオ・ガリレイというよりは私にはジャンヌ・ダルクの異端審問を思わせられました。

裁判長となったキッツはエリー博士を男装をし(女だてらに研究をして)魔女の声を聞いて人々を惑わしたジャンヌ・ダルクだと責めたてたのです。

 

エリー博士の体験の物証はなくあるのは彼女の精神の変化だけでした。

彼女は権威に叩き潰されてしまいますが裁判所を出た時彼女を迎えたのは火刑ではなく彼女の経験を支持する人々でした。

ここはもうアメリカならでは、という感動です。

その後もエリー博士は権威を着たお偉方に並ぶことはなく「砂漠の巫女」として子供たちに宇宙の神秘を教えていくのです。

それはもっとも幸福なことなのではないでしょうか。

 

女性だったために与えられる苦難もあり女性だからこそ愚物にならず良かった、とも言えます。

 

この映画作品は様々なことを深く考えさせてくれます。

科学と宗教、物理と精神。

エリー博士は科学者であり神は存在しないといいながらも壮絶なワームホールを通る恐怖から思わず「神よ」と叫んでしまいます。

それは人間なら当前の畏怖です。

エリー博士の伴侶となる男性が神学者であるのも皮肉でありながらそうでありたいという理想でもあるのだと思います。

科学と宗教、物理と精神は別物であってはならないのです。

その両方が人間にとって必要でありバランスよく両側に存在すべきであるとセーガンは伝えているのではないでしょうか。

 

そしてまたエリー博士が男性ではなく女性であるのもとても重要なことに思えます。

非常に大切なことはしばしば小さなものごとに隠されてしまうのです。

この作品の主人公が男性であるならこの映画(または原作も)はもっと有名になり得たかもしれません。

しかし女性が主人公であるためにいまいちマイナーになってしまいました。

だがそのために過剰に手垢がつく悲劇から逃れているのかもしれません。

それらは不思議な世界の現象のひとつであるようにも思えます。

 

  

今先ほどまさにこの思いに寄り添ってくれる記事を知りました。

www.nytimes.com

 

以下、翻訳機による翻訳です。

 

彼女はハンガリーで肉屋の娘として育ちました。彼女は科学者になりたいと決心しましたが、科学者に会ったことはありませんでした。彼女は20代で米国に移住しましたが、何十年もの間、恒久的な地位を見つけることはなく、代わりに学界の周辺に固執していました。

現在、同僚にカティとして知られているカタリン・カリコ(66歳)は、Covid-19ワクチン開発のヒーローの1人として浮上しています。彼女の仕事は、彼女の緊密な協力者であるペンシルベニア大学のドリューワイズマン博士とともに、ファイザー-BioNTechとModernaによって製造された驚くほど成功したワクチンの基礎を築きました。

カリコ博士は、キャリア全体を通じて、メッセンジャーRNA(mRNA)に焦点を当ててきました。これは、各細胞のタンパク質製造機構にDNA命令を伝達する遺伝子スクリプトです。彼女は、mRNAを使用して、ワクチンを含む独自の薬を作るように細胞に指示できると確信していました。

しかし、ペンシルベニア大学での彼女のキャリアは何年もの間脆弱でした。彼女は研究室から研究室へと移住し、次々と上級科学者に彼女を受け入れてもらいました。彼女は年間60,000ドル以上を稼いだことはありませんでした。
Kanojo wa hangarī de nikuya no musume to shite sodachimashita. Kanojo wa kagaku-sha ni naritai to kesshin shimashitaga, kagaku-sha ni atta koto wa arimasendeshita. Kanojo wa 20-dai de Beikoku ni ijū shimashitaga, nanjūnen mo no ma, kōkyū-tekina chii o mitsukeru koto wa naku, kawarini gakkai no shūhen ni koshū shite imashita. Genzai, dōryō ni kati to shite shira rete iru Katarin kariko (66-sai) wa, Covid - 19 wakuchin kaihatsu no hīrō no 1-ri to shite fujō shite imasu. Kanojo no shigoto wa, kanojo no kinmitsuna kyōryoku-shadearu Penshirubenia daigaku no doryūwaizuman hakase to tomoni, faizā - BioNTech to Moderna ni yotte seizō sa reta odoroku hodo seikō shita wakuchin no kiso o kizukimashita. Kariko hakase wa, kyaria zentai o tsūjite, messenjā RNA (mRNA) ni shōten o atete kimashita. Kore wa, kaku saibō no tanpakushitsu seizō kikō ni dīenuē meirei o dentatsu suru idenshi sukuriputodesu. Kanojo wa, mRNA o shiyō shite, wakuchin o fukumu dokuji no kusuri o tsukuru yō ni saibō ni shiji dekiru to kakushin shite imashita. Shikashi, Penshirubenia daigaku de no kanojo no kyaria wa nan-nen mo no ma zeijakudeshita. Kanojo wa kenkyūshitsu kara kenkyūshitsu e to ijū shi, tsugitsugi to jōkyū kagaku-sha ni kanojo o ukeirete moraimashita. Kanojo wa nenkan 60, 000-doru ijō o kaseida koto wa arimasendeshita.