「100分de名著』でブラッドベリ『華氏451度』が取り上げられているのがとても嬉しい。
本好きにとってまたそれほど好きではない人にとってもやはり一度は手に取って読むかその内容を知ってほしい本であります。
本の紹介をする先生のように映画を観て好きになるのもまた良いものです。映画は是非トリュフォー監督作品を観て欲しい。
その流れでブラッドベリの別の作品をトリュフォーの他の作品も味わってほしいと願います。
トリュフォーの姿を見たい方は『未知との遭遇』の冒頭を観てください。
宇宙人の言語を知る学者の役が彼です。
不思議なつながりですね。
さてそれはそれとして、昨日偶然テレビで「本が大好き」という風な番組を見てしまいました。
歌人である穂村弘さんは大島弓子『綿の国星』を読んで救われたと語ります。
あまりにも好きになって自分の本ができた時「帯」の書評を書いて欲しいと大島弓子宅を訪れどきどきしながら依頼の封書(切手なし)を自著と一緒に郵便受けに投函した話をされていました。
ほか、さまざまな書店や多くの蔵書を読むことができるホテルなどが紹介されていたのですが素晴らしい景色を前に本を読むという場面で一緒に見ていた家人が「ここまで来て読書?」と疑問を呈しました。
いやいや、本好きというのは一番良い場所で本を読みたいと願うものなのですよ。
潮風の海岸でも壮大な自然の中でもお洒落な店の良い音楽の中コーヒー或いは軽い酒を嗜みながらお気に入りの本を読むのが一番の快感なのです。
それは煙草好きが清々しい空気の山荘でタバコをふかしたりサッカー好きが異国の街中で見知らぬ人とボールを蹴りあうのを楽しく感じるのと同じく本好きもまた心地よい居場所でゆったりと本を読みたいと思うのですしその本がまた素晴らしければ最高なのです。
けっきょく本好きにとって本というのは麻薬でしかないのではないでしょうか。
本好きにとって読書ほどの快楽はないのです。
「どうしても紙の本でないと読んだ気がしない。電子書籍では頭に入らない」などというのはページを繰るそれ自体が指先と目を通した文字の快感でしかないからです。
でもきっと今に電子本をタップするのも快感に変わるでしょう。
本好きにとって読書はお勉強や知識の注入と言ったものより以上に本を読む行為そのものの悦楽なのでありその場所をより良い場所気に入った場所そしてお供にもこれぞという食べ物や飲み物があればまさに法悦境となるのです。
なのでその意味でいえば冒頭にあげた『華氏451度』は私が思う「読書」とはちょっと違った意味であると言えます。
つまり『華氏451度』はむしろあまり本好きではない一般向けのアプローチかもしれません。
本好きという麻薬中毒者は私のようにかなり疎遠になったものでも「またあの快感を得られるかもしれない」と思いつつ涎を垂らしながら本を探っていくのをやめられないのです。