とにかく『血界戦線』のエンディングダンスが観たくてたまらなくなり再鑑賞してしまったのですが久しぶりに観てもやはりぐっとくるものがありました。
この良さをどう伝えたらよいのか、と思案したのですが素晴らしい考察を見つけたのでここに張り付けておきます。
ここで書いてくださったことに激しく同意するしかないのですが本当その通りと納得でした。
たしかにアニメの技術は上がっていて他のアニメ作品で難しいダンスシーンも再現できているのでしょう。
プロの振付師によって振付られプロのダンサーが躍った動画を元にというかそのままアニメ化できることもあってキャラはどんなダンスもできるようになってしまいます。
しかし『血界戦線』EDはそういったプロのダンサーのダンスではなくど素人の酔っぱらいぐだぐだダンスだからこそ惹きつけられてしまうのです。(って書かれていたそのままですが)
血Eダンスは振付師には振り付けられません。もし注文するならマンガとアニメをすべて読んでそのキャラの特徴を理解してもらってからでしかできないわけでそれをしてもらうには破格なギャラを支払う必要がある上に「ど素人が躍る簡単でシンプルなあたりまえのダンス」でなければ題材にそぐわないのです。
血Eダンスを観ればキャラクターたちの性格がそのままダンスになって表現されています。わかりやすいのはザップの心底怠惰な投げやり性悪ダンス。クラウスの律儀な真面目で心優しいダンス。レオの精一杯の背伸びかっこつけダンス。K・Kの悪ノリダンス。
レオの服が若干だぼだぼなのもレオの背伸び加減大きくなっていきたいと願っている彼の成長期を表しているのではないでしょうか。
且つ背景がすでに幕が下りているところにスポットライトが当たっている、という演出も「エンディング」を意味していて何とも言えずかっこいいのです。
結局かっこよさ、というのはアニメーション技術ではなく(確かに必要ではあるのですが)演出のセンスなのです。そしてそれを生み出すには蓄積していく知識と経験が絶対必要なのです。
尚且つキャラクターへの愛情そして理解能力、いやはや大変です。
私がよく思うのは「アニメ界の人は物語よりもその世界を描くこと自体が好きなのだ」ということです。
もしかしたらアニメ作品本体よりオープニングやエンディングにこそその本領が発揮されるのではないのか。もしかしたらOPとEDを作りたいがためにアニメを作ってるのではないか、と。
そこはくだくだしい文字・台詞の説明ではない音と映像のみで表現できる世界だからです。
いわば「声優さん」の力なしで自分だけの力量を見せることができる、とも言えます。
もう少し言えば音楽とアニメーションだけで世界を創ってみたい、と思うのがアニメ界住人なのではなかろうか、ともにらんでいるのです。
『血界戦線』は特にOPEDが素晴らしいのですが中身もかなりアニメ界の本領を試される内容だと思えます。いわばリアル世界と異世界を混ぜ込んでしまった場所が舞台であり登場人物もまたしかりだからです。
あと何回『血界戦線』アニメOPED再生してしまうのか、自分でもちょっと怖いですがこの麻薬を手放せそうにありません。