何度となく観ている、つもりですがもう一度鑑賞しています。
2001年から三部作で公開され今なお語られることが多い異世界ファンタジーの名作ですね。
以後の日本における異世界舞台のゲームやアニメ・マンガなどは殆どこの映画から影響を受けていると言っていいでしょう。いわば異世界の教科書です。
こうして観なおしていると思った以上に展開が早くあらすじだけを追っているような気さえします。
とはいえ決して物足りない薄味でないのは背後にある重厚な物語がしっかり感じられる作りになっているからでしょう。
特にフロドが小さな種族ホビットで肉体的力学的攻撃性を何も持たないのに主人公として力ある者を従者とし凶悪な敵と戦い抜く物語を納得させるのは凄い。
それにはフロド役イライジャ・ウッドの見ているだけで不思議な世界の住人を思わせるあの眼差しですべてを成立させているように思えてならないのです。
ともあれ物語としてはフロドは「誠実さ」だけで勇者・智者から守護されて「指輪を捨てに行く」という一種奇妙な使命を背負い過酷な冒険の旅に出ます。
指輪の持つ魔力は凄まじく観る者すべての心を誘惑します。その指輪を持てば世界の覇者になれるのです。
心弱い者はすぐにその虜になりガンダルフやアラゴルンのような強い者でも揺れ動いてしまいます。フロドさえも旅の進む中で次第におかしくなってしまうのですがそれほどこの指輪の魔力は恐ろしいのです。
さて第一話はいわば物語の説明、で終わった感があります。それでもまったく物足りなくないのです。
私的には「これって山岸凉子『妖精王』が先だし、その真似では?」とも思えてしまうのですが、そもそも『妖精王』はイギリスやアイルランドの妖精譚を変化させたものであるしもしかしたらトールキンも加味されているのかもしれませんしね。
力の無い主人公が騎士などに守られながら冒険をするという設定はもっとも読者の心をつかむのかもしれません。読者自身と重ねられるからですね。
しかし今現在の目で見ると『妖精王』も本作もあまりに正義=美、悪=醜いが徹底しているし人種的な偏りや男性中心でありすぎなのも気にならないというのは嘘になってしまいます。
現在そのあたりを改変しようとしているのは当然だと私は思いますが思った以上に「そのままが良い」派は多いのです。
とはいえそれは一時的なものでしかなくすべては変化していくものです。
一周したら「偏見なく偏った世界」もまた生まれるかもしれません。
ともあれ『ロード・オブ・ザ・リング』世界もう少し浸っていきます。