第67話まで鑑賞。
辛い時期です。まあ前も後も辛いんですが。
ネタバレしますのでご注意を。
いろいろな思いが渦巻きます。
皇帝は如懿に夫婦は一心同体で共に白髪になるまで一緒だと甘い言葉を誓っておきながら子どもの死には向かい合えないと言って嘆き悲しみ体も疲れ切った妻をいたわることができない。昔の男にはありがちなことだとは思えどここで如懿を抱きしめていれば彼女の気持ちもまったく変わっていただろうに、とは思います。
片や如懿。
そうした夫(皇帝)の本性を知った虚しさはわかるのですがここで甘えることができていたら皇帝も男としての面目もたったでしょうにと言う話なんですよね。
でもそれでは如懿は普通の女性でしかなくなってしまいます。
如懿の一途で清廉な精神はそうした甘えを拒否してしまった。
如懿の心持や行動は現在の若い女性にとても共感できるもののように思えます。
私自身は古い人間なのでもう少し折れてあげても、と思ってしまうのですが。
一方の衛嬿婉は皇帝の寵愛を得るためには見境がない。
もともと育ちが悪く教養もない彼女はいわば物凄い努力を重ねて寵愛を手にしたとはいえるのです。かつてよくあった(今もあるけど)大出世物語なんですね。それが本作と人気を二分した『エイラク』なんですが。あの作品はまさに本作の真逆で衛嬿婉がヒロインで如懿が悪役ですが歴史上はそちらが正史に近い、のでしょう。本作のほうが奇妙なのですが現在の女性としては如懿のほうが共感できるのではないかと思うのは私の思い入れが影響しているのでしょうか。
衛嬿婉の凄まじい努力はいったい何のためなのか、彼女はひたすら出世を望みひたすら頑張りました。
教養を身に着け踊りや歌を覚え当時女の仕事であった出産を次々とこなしていきます。今の女性に重ねれば次々と重要な企画を進行させたというところでしょう。
一見美貌の彼女の体はきっともうボロボロだったに違いありません。
貧しい女性の立身出世は素晴らしいことですがその手法が衛嬿婉であるのはあまりに悲しい。
それらを考えても穎妃を見ているとほっとします。
若く美しく賢く父親から溺愛されて育った気品と自尊心がある。
やはり筋の通った風格を持つ女性に憧れます。
海蘭にもそれを感じます。
それを思うと