ガエル記

散策

人間の権利と尊厳のうえでの象徴

皇室、特に雅子様のことを考えるとどうしようもない袋小路に入ってしまったことを感じてしまいます。

ここから脱出するにはどうしたらいいのか?

しかしこんな袋小路を作ったこと自体が間違っているのです。

所詮、袋小路は人間が作ったのです。そこから脱せないと嘆くのなら叩き壊してしまえばいいのです。

 

ネットをつらつら見ていると「次期天皇愛子様でよい」「時代は変わった。女性天皇に賛成です」という意見が多く見られ、実際アンケートでは圧倒的にそうなのだと言います。

なのに何故そのまますんなり「女性天皇」に進まないのか。

一般人は当たり前ですが愛子様までしか考えません。その次は?となると「愛子様の子供で良いと思う」というはっきりした意見を私は見つけきれませんでした。

どうしても単純に「愛子様天皇で良いと思う」派より「天皇は男系男子に限る」派のほうが理屈を持ってくるのです。心優しき女性天皇賛成派は堅固な反対派の論理に負けてしまうのです。

 

曰く「これは男装女卑ではない。女性天皇の夫を一般人から選ぶとなれば権力闘争となる。妻を選ぶ時とは意味が違ってくる。一般の男に権力を奪われていいのか」「これは人権無視ではない。皇族の方々は特別なのだ。皇族の方々はそれを理解しておられるはず」「ヨーロッパでも同じように王家が存在するじゃないか」などなど。

 

いや、その考え方自体が男尊女卑であり、人権無視でありヨーロッパの王族も昔と違い様々に変化されているではありませんか。主旨自体がおかしいのです。

男系男子派という人々は「皇室典範」というルールブックを掲げているのだと思いますが、それ自体も人間が決めて印刷したことです。間違いもありますし、時代の変化もあるし改革していくべきものということです。

なにしろその第一条に「皇位は、皇統に属する男系男子が、これを継承する。」とあります。

女性・女系天皇反対派はこの一文を見ては意志を固めているのでしょうがそれを守るためには皇族の人権を無視してしまうしか存続できないことがすでに証明されてしまいました。今美智子様雅子様愛子様紀子様眞子様佳子様はその犠牲者であることはテレビなどの報道をずっと見ていれば判ることです。

昨日も書きましたがこういう極端に偏った男性社会を継続するために犠牲となるのは女性です。

一般社会でも日本女性が社会の中でどれほど犠牲となることで男性社会を保っているのか。そしてこういうことを誰かが言うと必ず「日本女性はまったく差別されていない。むしろ優遇されているぐらいだ。レディスデーは男性にはない」と言い出します。

ではメンデーを優遇しますから男性と女性の地位をそのままとり代えっこしてみたらいかがでしょうか。

差別している者は差別されている者の気持ちは絶対に判らないのです。そして「むしろ差別されているのはこちらだ」とまで言い出します。

日本女性の価値は日本男性にとって性の対象でしかありません。だからいつまで経っても社会の一員にしないし、性犯罪は尽きないのです。

そして日本男性は「それは女性にとって幸福なことじゃないか。相手にされなくなったら終わりだよ」と言い出します。幸福は女性自身が決めることです。

横道にそれてるように思えますが、これらのことが皇室でもそのまま当てはまっていると私は思います。

女性は性の対象としてのみ存在を許されています。だから跡継ぎが優先であり、男系男子でなければならないのです。

性の対象、でしかない女性が天皇になるのは理不尽、というわけです。

男性天皇が一般人から皇后を選ぶのは性が目的だから問題ない。

しかし

女性天皇が一般人から配偶者を選ぶのは性が目的ではないのですね。なぜなら男性は性の対象ではないから。

この理屈はいったいどういうことなのでしょうか。

たぶん男系男子派の頭脳の方はこの文章を読んでいても「なにを言ってるのかさっぱりわからないw」というだけなのです。

でもきちっと理解してもらわないといけません。

 

天皇は人間なのです。そして日本国民統合の象徴という責務を果たしておられます。

天皇は特別な存在なのではなく国民の合わせ鏡でありその姿は国民の姿と重なる、と私は思います。皇室の方々も同じくです。

(これは余談になりますが新天皇のおことばで「国民統合」と言われたのに気づきはっとしました。「国民」ではなく「国民統合」なのですね。この統合という言葉は日本という国に住む様々な人々を意味していると私は思います。これは大切なことです。このことだけで後日また書きたいです)(さらに余談。平成天皇の愛車はインテグラだったとか。もしやこの意味だったのでは?)

 

天皇はずっと前に人間宣言をされ(というかずっと人間だったんですが)一般大衆もそのことを認識したはずです。

世界人権宣言の第一条に「すべての人間は生まれた時から自由で尊厳と権利の点で平等である」とされています。

(昨日自分勝手に書いてて「尊厳と権利」と書いていたのですが合ってたのですね。いつの間にか頭に入っていたんでしょうか)

人間ならば宣言していいのです。

天皇が象徴としての責務を負ってはいてもそれは人間としての尊厳と権利があった上でのことです。

もちろん皇后も同じです。その子供も。親族も。

人間宣言をしたのですから。

なんぴとたりともその権利と尊厳を奪うことはできません。さらに第一条は

「人間は理性と良心を備えており、たがいに友愛の精神で行動しなければならない」

とあります。男系男子に限る、などという論理が理性と良心を備えているとは思えません。

人権と尊厳を遵守したうえで天皇としての役割を果たしていただくのでなければ天皇制そのものをあきらめなくてはいけないでしょう。

男系男子のみの存続しか認めないのなら自然に天皇制は消える運命でしょう。

もしかしたら誰もがそれを望んでいるのかもしれませんね。自然と消えゆくのを。

ご本人たちも国民も。

それも一つの道なのかもしれません。

 

ところで「世界人権宣言」というものを日本という国はどう受け止めているのか、よくわかりませんでした。

政府は取り上げてはいるし人権週間なるものもあるわけですが、もしかしたらまだ「目指しているだけで守っているわけじゃない」段階なのですかね?

だとしたら、こういう状況になるのも当然なわけですね。

なんか悲しいです。