ガエル記

散策

『ずっとお城で暮らしてる』ステイシー・パッソン、そして『ミーシア』吉野マト

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 日本未公開でwowowにて初放送という映画作品です。

 

以下ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

 

「暴力」を描いた作品です。

感想を書こうとしてなかなか書けずにいた時に別のマンガ作品を読みました。

 

shonenjumpplus.com

とても魅力のあるマンガですがかなり粗削りで無茶苦茶でさえあります。

ここでこの作品にひっかかったのはこのマンガと『ずっとお城で暮らしてる』がいろいろな意味で似通っていると感じたからでした。

 

ふたつの作品の共通点はもちろん「暴力」が題材になっていることとその暴力を介してふたりの登場人物が強いつながりを持っていることです。

『ミーシア』ではミーシアとユウマで『ずっとお城』ではメリキャットとコニーです。

その原点は「父親からの暴力」です。

『ずっと』は明確にその描写をしていないのですが姉妹がかつて父親の支配下に置かれやむなくヒ素を飲ませて両親を殺害し伯父を下半身不随にしたことが語られます。

『ミーシア』ではユウマが父親に殴られている場面でふたりが出会いミーシアが自分の血(ある意味毒薬)を飲ませて殺害します。

ミーシアの父親(神?)もまた優しげではありますが娘が嫌がる仕事を押し付けているのですから支配下にあるのには違いないのです。しかも彼女はその仕事によって精神のバランスを狂わせていきます。

 

ミーシアとユウマの殺人旅行はふたりにとって幸福で楽しそうでさえあるのですが奇怪であるのには違いありません。

これもミーシアによって殺害されるヨーゼフが言う通り「そういうのは結局ロクなことにならん」のです。

ふたりの末路は「暴力」でした。

 

『ずっと』の姉妹の物語も奇妙で奇怪で破綻してもいます。

なぜふたりはこの城から出ないのか。財産があるのならそれだけ持って親戚とは連絡を取らずに別の場所で暮らすこともできるはずです。従兄弟チャールズもイミフで不快です。

が、こちらの作品は「暴力にさらされる人間特に女性特に少女」を主題にしているのでこの設定が必要となるのです。

少女は家に拘束され遠くへ行ける存在ではないのです。『ミーシア』のミーシアも遠くへ行っているようで神である父親の支配下から逃れることはできません。父親が神、という設定がすでに少女の不自由さが表現されています。

姉妹は父親の支配=暴力から逃れるために両親を毒殺しそのために村人から罵られ迫害されます。それが少女なのです。その迫害を受けたくなければ父親の支配下にいなければならず支配下から逃れれば罵られるのです。

姉妹が望むのは「月に行く」という夢物語です。

 

姉コンスタンスは「少女(女性)はお城の中でしか生活できない、どこかへ逃げ出すことはできない」「目の前に現れた男を王子様と思って恋をする=自分で男(王子様)を探しに冒険することはできない」という現実を表しています。

妹メリキャットはその現実に憎悪を持ちその現実に甘んじる姉に苛立ち反抗します。

『ずっと』の原作者シャーリィ・ジャクスンも映画監督ステイシー・パッソンも女性ですからこの姉妹のキャラクターが女性(少女)の表と裏であるのを実感し痛烈に描いています。

 

吉野マト氏は現役の少女(17歳)とのことですが彼女が描くヒロイン・ミーシアの不安定さに心が痛みます。

自分の血液一滴で人間を殺害できる力を持ちながらなぜ彼女ミーシアはもっと強大で自由でいられないのでしょうか。

神である父親の支配こそが暴力ですが彼女はそのことすらまだ気づいていないようです。「父の命令なら娘として果たすのは当然」とするミーシアには人権はないようです。

ユウマを殴っていた彼の父親をあっさりと殺し彼を救ったスーパーパワーを持つミーシアが次第に弱くなってしまうのは作者が女性だからなのでしょうか。

殺害する相手が常に男性なのはミーシア(=作家)の願望であるようにも思えます。

結局彼女は自分のスーパーパワーを使いこなせず次第に弱くなっていき最初感じたあの「神の娘」の力はもう感じられません。

最期には弱っちいユウマにナイフで刺され死ぬのです。これは明らかに男性性に屈服させられたという暗喩にとしか受け取れないのですが17歳の作者さんとしてはかなり恥ずかしい表現ともなります。しかも相手の男が「小さなナイフ」というのも苦笑ですね。

意地悪な皮肉はこれまでとしてもミラクルパワーを持った神少女ミーシアが次第に弱くなって普通の少女以下となり結末は小さな幼女として生まれ変わり弱っちいユウマとの再会を望む、という悲しくみみっちい願望だけが彼女のすべてとは・・・あまりにも空しいではありませんか。

 

吉野マト氏のTwitterを覗いたら吉田秋生『バナナフィッシュ』を評価されていて「あー彼女も男性性に苦しむ女性なのだな」とそっ閉じました。

吉田秋生氏もまた「女性の男性性への復讐者」の代表者だと私は思っています。

 

そうなのです。

『ずっとお城で暮らしてる』は女性による男性性への復讐作品なのです。

 

私はそうした作品があまりにも悲しいので好きにはなれないのですが自分自身も女性ですから気持ちは理解できます。

『ずっと』で姉妹を苦しめる主犯は男たちです。

彼らは姉妹を罵り嘲り性的な暴力をふるってきます。周囲の女性たちは励ましはしますが完全に姉妹を救ってはくれません。

この映画はそうした現実を具象化したものなのです。

テーマは「男性性への嫌悪と怒り」です。

現役少女吉野マト氏の『ミーシア』もまた同じであると私は感じました。

もしかしたらご本人はまだお気づきではないのでしょうか。

彼女がいつか男性性を打ち破った真に強いミーシアを描いてくれることを期待します。父親は神ではなくユウマがいなくても楽しいし悪人ヨーゼフをやっつけても気にする必要はないし(娘をあんな目にあわせてしまうなんて殺していいよ)ユウマなんかと再会したいと願ったりしない自由なミーシアを。

 

『ずっとお城で暮らしてる』ふたりもそろそろお城を出ましょうか。