ガエル記

散策

『殺人の追憶』ポン・ジュノ

f:id:gaerial:20210318054333j:plain

今回観るつもりではなかったのにテレビ放送されたのを眺めているうちついつい入り込んでしまいました。

何度も観ていますが飽きることなく面白い作品です。

 

実を言えば本作はDVDを持っていていつでも見返すことができるのですが付随していたディスク2が未見だったのでこの機会に見てみることにしました。

 

そのネタバレになりますのでご注意を。

 

 

 

まずは若きポン・ジュノ監督が可愛いです。

最近お馴染みになったあのもじゃもじゃ頭ではなく短髪なのですが撮影中少し伸びてくると若干もじゃっているようなのであれはやはり天然ですね。長身のソン・ガンホキム・サンギョンにも負けないほど背が高いのですね。童顔なのでちょっと驚きでした。

俳優・キャストたちとのやりとりも面白く撮影中も和気あいあいで楽しそうでした。カットが終わるたびに大笑いしているんですね。特にソン・ガンホ氏。

またスタッフたちがかなり演者にもなっているというのも楽しいです。

 

舞台設定が80年代なので背景作りは大変だったようです。

田舎だった現場はもうすっかり都市化してしまっていてしかも納得のいく場所もないため、仕方なくイメージに合う場所をあちこちで探し出して撮影してつなぎ合わせる、という方法だったのです。

ひとつの世界を作る映画としては当たり前かもしれませんが大変な苦労があるのだとこれも改めて思わされました。

 

とんでもない勘違いをしていたのはパク・ヘイル演じる第三の容疑者についてです。

私は映画としてつまりポン・ジュノ監督は彼を真犯人だと言っているのだと思っていました。少なくともその可能性が一番強いのだと。

ところがパク・ヘイルへのインタビューでは(これもそう私が受け取ったのですが)監督も彼を犯人だとはしていない、ということだったのです。

パク・ヘイルは彼を「善意の被害者」と表現しました。この言葉の意味はなんでしょうか。

つまり二人の刑事(だけではありませんが)の執念、特にソ刑事の「顔馴染みになった少女を殺害した犯人を捕まえたい」という善意によって疑念が彼を狂気に走らせてしまったがための犠牲者、という意味になるのでしょうか。

 

この映画作品は「(善意で)犯人を捕まえたい」と願う気持ちが人間の思考を狂わせる「疑心暗鬼」になってしまう、というテーマだったのだと今更気づきました。

 

先日本作のモデルとなった実際の事件の犯人がすでに時効ながら自白した、という報道がなされその男がなんとなくパク・ヘイル(似ているわけじゃないですが)のような感じだったのでますます「やっぱり第三の容疑者だったのか」と確信していたりしたのですが実はすでにこの中で監督の気持ちは語られていたわけです。早く観ろって話ですね。

 

またこの素晴らしい映画に日本人スタッフもいたことを忘れていました。

音楽の岩代太郎氏です。

東京で行われた映画祭の舞台に氏が立っているので「なぜ?」と思っていたら音楽監督でした。関係ないかもしれませんがこの素晴らしい映画に音楽という重要な役割で日本人が関わっていたのはうれしいことです。