
ネタバレします。
昭和の女と松本清張
9 殺す女、殺される女
ここで紹介されている作品で『声』だけは読んでいた。
これは衝撃的な話であり同時に興味深い作品だった。
新聞社の電話交換手を務めていたヒロインは数多くの声を聴き分けられるという能力を持っていたがそれが原因で殺されてしまうのだ。
wikiを見ると清張は実際にこうした能力を持つ女性を知って感嘆し参考にしたのだという。
非常に面白い着想だがそれで殺されてしまうのが悲しい。それだけに印象が強いのだが。
前にも書いたが「殺される女」というのは男性読者の性的好奇心を呼ぶための装置でもある。
その女が若く美しくあるほど殺される価値があるのだ。
そのためにこれまでどれほど多くの女性が「殺される」という語楽を与えてきただろうか。
だが「殺す女」はどうだろう。
松本清張は非常に多くの「殺す女」を書いた男性作家なのだと思う。
今以上にかつての社会、昭和社会は女の力が弱かった。
その中で人を「殺す」ことはなにかしらの意志であったのではないか。
出来得るなら「殺さない」ですむ方がいいに決まっている。
10 素人悪女と玄人悪女
ここで酒井氏は「清張は悪女を生き生きと描くがそれはあの時代だったからこそだろう」という主旨を書いている。
現在でもその傾向はあるがかつて昭和時代は特に「女性は良妻賢母を目指すもの」とされてきた。
マンガであっても初期ほどヒロインもしくは主人公の相手役は優等生であった。
後にそれは悪女化していくがそれはまさにこの項を証拠立てるものだろう。
私自身よく「松本清張の小説の女は悪女ばかり」と聞いていたものだ。
読み始めたのがかなり後(というか最近)だったために「悪女か?」となったものだが当時意志を持って行動する女は「悪女」だったのだ。
女はすべからく男性を立てその補助をし不満に耐えてこそ「良い女」と呼んでもらえる。
自らの意志を持ち不満を訴え男性と別行動をする女は「悪女」と呼ばれたのだ。
ここで取り上げられる『黒革の手帖』の元子は清張作品でも最も有名なものの一つだが私も最近初めて読んで(ドラマは未鑑賞)すっかり元子ファンになってしまった。
不美人で地方の銀行に勤め不正を働いて資金を得た彼女が銀座という大舞台でのし上がっていく様はおもしろいったらない。
男性キャラのこうした活躍は多く描かれてきたであろうが女性の場合は今でもかなり少ない。
しかも彼女には後ろ盾などがない。
小説でも「背後に男がいるのではないか」と疑われるのだが元子は完全に独り身で戦っていくのだ。
資金も遺産だとかなんらかの給付金をもらったとかではなく「自分の力で不正をして得た資金」である。褒められはしないが自力であるのだ。
助言してくれるパートナーも保護者もいない。ちょっとだけ助けてくれる「オカマの獣医さん」が登場するのみだ。
酒井氏も指摘しているが元子が他の清張悪女と違うところは「男関係がない・薄い」ところだ。
今風でもある。
『黒革の手帖』が大人気なのは当然だろう。
『疑惑』は映画鑑賞をしたがキャストの岩下志麻&桃井かおりの魅力も相まって堪能した。
酒井氏はこの項で「清張はなぜ水商売の女を書き続けたのだろう」という問いかけをし「あの時代の男社会は彼女たちを抜きにして書くことはできませんでした」という助言を受けた。
松本清張氏は酒が飲めなかったにもかかわらずクラブやバーで取材したのだという。
そして酒井氏は「当時の日本女性はあまりにも家庭に縛られていたために活躍させようとしてもさせづらかったのではあるまいか」と考えている。
こうした発想は当然だろう。
ちょっと横道に入る。
松本清張小説にはあまり歓迎されないキャラクターではあるだろうが私はかつての作品に「お金持ちのお嬢様」がよく登場したのは「ずばずばと自分の意見が言えるから」だったと思う。
お嬢様だと行動力があるから、ではなく発言する気力がある、ことが重要なのだ。
かつての女性はおどおどとして発言する力が少なかった。
まあそれでも面白い話が作れたのではないかとは思うけどじれったくてメンドクサイだろうとは思う。
今では特別にお嬢様ではなくても堂々と発言できる若い女性が増えてきた。とても良いことだ。
11 黒と白のオールドミス
今ではまったく使われなくなった「オールドミス」という言葉は私も記憶がある。
酒井氏も指摘しているが松本清張作品を読んでいても女性の賞味期限が二十代前半のみに限定されていることがわかる。
昭和時代は作者によって多少の揺れはあるだろうが十代では若すぎるがかとって25歳という年齢を超えると明らかに「やや年齢のいった女性である」という表記になってしまうのだ。
勿論30歳を超えてしまえば中年女性と言われても仕方ない。つまり女性の魅力的な年齢は20歳から24歳までというごくごく短い期間のみに絞られている。
これは結婚適齢期がそのまま性的魅力期であり美人期でもありそれを超えれば超えるほど女性価値は急降下していくのである。
無論男性であれば35歳くらいまでは結婚適齢期と言われているしそれを超えても男性的魅力が損なわれるということではない。むしろ財力が物を言う。
つまり女性が女性として見られるのはほんの「5年間」くらいなのに男性としての魅力は財力さええあれば20年間は(もしくはもっと)許されるといった具合だ。
もちろんこれは男性の意見であって女性ならば若干違うと言いたいがかつては女性作者もほぼ同じようなことを言っていたのだ。
今現在は体感としてまったく価値観が変化したとは思う。
それでも女性価値が二十代に限られるのは変わらない。
それは「子どもが不安なく生める年齢」に紐づいているからだ。
女性側としても30代さらに40代になれば出産は困難になっていく。今でも女性は20代が望ましいのだ。
とはいえ、さらに時代が進めば妊娠・出産のすべてを人工的に行えるようになるかもしれない。
それでも卵子の期限は短いため保存が必要となる。女性は若いうちに卵子を摘出して保存しパートナーが見つかった時に受精させるのだ。相手も保存しているだろうて。
こうなれば女性は二十代のみ、という価値観は大きく変わるかもしれない。美容整形も進むだろう。
こうなれば清張悪女もお役御免だろうか。
が、今はまだその時期ではない。
そして再び本に戻ろう。
昭和時代とにかくオールドミスはそれだけで忌避される存在だった。
だが時が経てば経つほどオールドミスは増えていき増えたあまりに誰もそう呼ばなくなった。
不思議なものだ。
「結婚しないと女はとんでもない化け物になる」と恐れていたことが当たり前になってしまうと化け物はいなくなってしっまった。
みんな化け物なので誰も怖くなくなったのだろう。
逆に今は「子どもがいる母親」が叩かれていることが多い。
「こどもが邪魔だ」「しつけがなっていない」などなど。
こんな時代になるとは松本清張も考えなかったのではないか。
12 女性会社員の変遷
ここで「明治生まれの人は青春期に大正デモクラシーの波をくぐっているが大正生まれの人は戦争中の教育を叩きこまれているのでかえって古い考え方をする」という話が出てくる。
もちろんこれは昭和高度経済成長期の話だ。そのとおりだろう、と思う。
そして敗戦後日本は民主主義となり男女平等となっていくが実際は程遠く女性の社会的人権というものは今でも様々な困難を払拭できてはいない。
松本清張は常に弱者の視点で考えてきた作家だ。
興味深いのは男性の中で弱者である人はさらに弱い立場の女性を叩く傾向が強いのに何故か清張は女性の立場でものを考えることができた、というところにある。
これは松本清張の最も優れた点なのではないか。
酒井氏が挙げている清張作品における女性の仕事は
①水商売
②ファッション、アート、マスコミ関係
③会社員
としている。
①②は女性ならではの特別な仕事として男性にも求められ認識されるが③は結婚までの腰掛仕事として扱われ、長く勤めるのはむしろ迷惑くらいの考え方をされていたものだ。いわゆる職場の花と呼ばれ男性社員の憩いの存在としてお茶くみ、補助の仕事を繰り返しするのを求められできるだけ早めに(結婚)退職してもらい新しく若い女性社員の入社を期待されていたのだ。
その中で「オールドミス」がどのような扱いだったかは想像に難くない。
そして清張はそのような女性をも取り上げてミステリーのヒロインとしたのである。
13 セクハラ全盛期の女たち
酒井氏は書く。
「セクハラという言葉が人口に膾炙した1989年は昭和から平成になった年である。すなわち昭和とは性的な嫌がらせを受けても指摘することができない時代であった」と。
ちなみにこの時松本清張は80歳。82歳で他界した清張にとって最晩年と言っていいが、この頃の彼は歴史関係作品が中心になっていた。
つまり松本清張は後に「セクハラ」と呼ばれる行為が職場で野放しになっていた時代に生きた作家であったしその作品には昭和のセクハラがそのまま保存されている、というのである。
私が読んできた清張作品もそうした描写が多かった。
清張作品はそれを我慢してあまりある面白さが期待できるのであるが多くの昭和小説はそれのみしか描写されないもの多すぎてそれゆえに私は日本小説を嫌悪し遠ざけてきたものだ。
これは女性作家であってもほぼ変わらない現象だったと思う。
なので女性作家も読んではいない。
昭和という箱の中にはセクハラがいっぱい詰まっているおぞましい汚物入れなのだ。
そこを覗くと吐き気がしそうだ。
14 覗き見る女、盗み聴く女
また知らなかったことを知ってしまった。
あの有名な「家政婦は見た!」の第一回目の原作は松本清張だったのだ。
『熱い空気』というのがそれだという。
酒井氏は「よく知られている」と書いているがまったく知らなかった。新米清張ファンとして研鑽を積まねばならない。
ドラマではかなり年配の女性というイメージ(スミマセンが未視聴です)だったのだが原作では32歳。
昨今の状況と逆になっているが先にも書いた通り当時の32歳はかなりの年齢なのである。
この項には松本清張の専属速記者となり四百字詰め原稿用紙で約七万枚、単行本で八十冊ものを共に生んだ福岡隆氏のことも書かれている。
清張氏が口述筆記をしていたとは聞いていたがこれほどの重労働だったとは。
毎日が原稿締め切りの連続で流行作家の陰の人となって書き続けたという。
昭和時代っておそろしい。
そして清張氏は自宅にこのような速記者そして秘書やお手伝いさんを出入りさせるようになったからこそ「家政婦は見た!」の原作を思いついたのであろうと酒井氏は書く。
まったく清張氏の発想はどこにでもあるのだ。