さて今回は『新しい主人公の作り方 ─アーキタイプとシンボルで生み出す脚本術 』
をテキストにして勉強してみようかと思います。
まだ手にしたばかりですので全く内容を把握していません。直接作品に当たりながら確認していくのが一番理解できるのではないでしょうか。
少し前にこの本の紹介文を目にした時にとても気になっていました。世界の物語は英雄の物語、つまり男性の冒険譚がほとんどです。女性はその中で男性が勝ち取る宝物・手柄・賞品として登場します。トロフィーワイフというわけですね。
「千の顔をもつ英雄」を書いたキャンベルは女性は男性の来訪を待つものだ、とも英雄譚の男性を女性に変えればよいとも言っているようですが、「女性の物語」はそのまま「男性の物語」に変えられるわけではない、というのがこの本『新しい主人公の作り方 ─アーキタイプとシンボルで生み出す脚本術 』の主旨です。たぶん女性もまたジェームズ・ボンドになれるでしょうが男性が演じた007そのままではないでしょう。
本作では「男性の英雄譚が外へ向かう」のに対し「女性の物語は内へ向かう」としています。
男性が見知らぬ世界へ旅立ち怖ろしい敵を倒して宝物を持ち帰るのに対し、「女性は家の中で様々な体験をし考え成長する」というわけです。
これは素晴らしい考えだと思いました。
勿論、これは男性の生き方にも当てはまります。
そしてヒーローに対するヒロインといった呼び名を捨てて「ヴァージン」というアーキタイプを提案するのです。
これも素晴らしいアイディアだと思うのですが、日本語のイメージとしては少々(逆に)過激であるようにも思えますのですぐに定着するようには思えない気もします(笑)
ですがやはり「ヴァージン」というアーキタイプのイメージは試練を経て成長する者にぴったりのイメージです。
そしてヴァージンの反対は娼婦。ヒーローの反対は臆病者。
こうした様々なアーキタイプを提案することで面白い物語の設定ができるというわけです。
そして次にヴァージンの旅を表すステージの説明がされます。
ステージ1は「依存の世界」確かに女性のイメージはこの「依存の世界」から始まるように思えます。勿論子供であれば誰でも最初は誰かに依存しなければ生きていけません。なのでこの考え方は男性にも女性にも当てはまるはずです。
とても面白いので実際になにかの物語に当てはめながら読み進めてみたくなりました。
よくできた物語ほどこの本のアイディアが当てはまる気がします。
男性ものでもいいのですがここは先日観たばかり読んだばかりの『この世界の片隅に』を実例にしてみます。
まだ思いついたばかりなので上手くいくかどうかはわかりません。初めてなので失敗もあるでしょうが挑戦してみましょう。
では始めます。
まず『この世界の片隅に』の女主人公すずは明らかな「ヴァージンタイプ」です。脇役のアーキタイプを当てはめていくべきですが、まだよく判らないので、ここは飛ばして「ヴァージンの旅」を始めながら考えていくことにします。
ステージ【1】依存の世界
物語の冒頭のすずの世界は幸せです。生活には困らず、暖かな家庭の中で育っています。兄が少し乱暴に叱る以外は仲良く温和に暮らしています。親しい同性・異性の友人もいます。
ここでテキストには「依存の世界は善良な世界でヴァージンはこの世界に居続けたいと感じています。ヴァージンはこの世界を頼りにし、また人々もヴァージンを頼りにする相互依存なケースも見られます」とあり、すずの結婚前の世界はそのままこの通りです。
手先の器用なすずは絵が上手く妹に絵を描いて楽しませます。
物語としてはこの「依存の世界」はヴァージンの自己実現の妨害、となるわけです。すずは完全にこの世界に安心しきって依存していて別の何かになりたい、という強い意識もないように思えます。成長したい、変わりたい、という願望もないのです。
ヴァージンの依存状態を作るシナリオのパターンは
①生きるため
②社会の慣習
③守ってもらうため
④愛されるため
とありますがすずはこのすべてでもありますね。
気になるのは続く「すずの結婚」がこの「依存の世界」に含まれるのかどうかです。
生まれ育った家庭から出て別の家へ嫁ぐ、というのは「依存」ではないのか、自分で選択した道ではないので結婚もそのまま「依存の世界」であるようにも思えます。
とりあえず次へ進みましょう。
ステージ【2】服従の代償
ここでテキストになれません」には「人々に従う限りヴァージンは真の自分になれません」と書かれています。すずそのものですが、彼女はそのことすら考えていません。
「何がしたいか本心ではわかっていても、それをどう実行に移すかがわかりません」とあります。
すずはなにもかもまったくわからないままでいる状態だと思われます。ただただ自分に訪れた出来事を受け入れていくだけです。
つまりここで「この人との結婚は嫌だ」と逃げだすこともできますが彼女はほとんど逆らう気持ちが見られません。心理状態も描かれていないので「そういうものだ」と受容したように見えます。
他人に合わせてばかりで夢に向かって歩き出せないヴァージンのパターン
①まだ目覚めていない
②限られた世界での人生を受け入れている
③奴隷のように奉仕している
④精神の危機
ここもまたすずの状況は全部のようです。
①②はまだしも③④は違うだろうと思うのは物語に埋没しすぎかもです。
一人の少女が自分の考えもなく結婚を決められ嫁ぐ、というのは奴隷と同じですし、(たまたま周作さんが良い人だっただけです)それを受け入れるというのは精神がおかしくなっている、と言っていいのです。
この当時の常識がそうだった、というだけで反感もなく受け入れていくことを現代感覚で「良し」とする必要はないでしょう。
しかもすずは絵が上手い、という特技を持っているのにそれを才能として職業にする、などという考えさえ持たず「女は言われた通り結婚するものだ」という運命を受け入れてしまいます。
(批判的に書いているようですがこれが作品の手法なので批判ではありません。こうした客観的表現は物語を淡々と進ませる技術です)
ステージ【3】輝くチャンス
さて難しくなってきました。
テキストによると
①運命に導かれる
②自分でチャンスをつかむ
③願いがかなう
④誰かのために立ち上がる
⑤老婆のアーキタイプに応援される
とあります。
⑤の老婆のアーキタイプに応援される
というのも気になります。
物語ですずは結婚前に友人のおばあちゃんから結婚した夜の心得を聞きます。これが「新しい傘を渡す」というちょっと不思議なエピソードなのですが、確かにこのことですずは婿である周作の問いかけに答えることができる、という仕掛けになっています。
言われるがままに結婚しただけのすずと周作に心のつながりができる重要な場面なのです。
また家事を行うのは嫁として当たり前の行為ですが、戦時下ということもあってすずはひとつひとつ工夫をしていきます。「ただの嫁」ではなく「使える嫁」(いやな言い方ではありますが)というわけです。「才能ある嫁」と言い換えてもいいでしょう。
絵を描くことも始めます。このことも周作とのつながりを深めていく方向へ物語は進みます。(場合によっては嫁が絵を描くことを禁じることもあるわけです)
これらは運命でもありすずが自分でチャンスをつかんでいることでもあります。
ステージ【4】衣装を着る
これは不思議なステージですね、なんでしょうか。
前ステージで書こうともしたのですが、すずが義姉の言葉でそれまで着ていた古びてださい服をなじられ新しいモンペ衣装を作る場面があります。
裁縫をさぼっていたすずですが、もともと手先は器用なので持っていた着物をモンペに作り直して着るわけです。
そしてこのことで出会った時「嫌な人間」に見えた義姉が実は思いやりのある女性だとうことになります。
『この世界の片隅に』はすずと周作の恋愛物語を主軸にはしていますが脇役の女性たちとの交流のほうがより心に残るように思えます。
特にこの義姉は優しいキャラクターがほとんどのこの作品中唯一すずに辛く当たる悪のキャラクターを引き受けているので鮮烈です。
「シンデレラ」の継母や姉たちの役でありながら実は主人公を幸福へ導いてくれる役割となっているように思えます。
これはちょっと普通のドラマにはないポジションと言っていいのかもしれません。
さて今日はここまでです。
また続けます。