昨晩寝る前に「嵐が丘」について書かれた文章を読んでしまいました。「キャサリンとヒースクリフは相棒のような関係だった」と。
私が『嵐が丘』を読んだのは中学生か高校生かはっきりもう覚えてませんがそのくらいだったでしょう。
初めて読んだ時からそれこそ溺れるようにこの物語に惚れ込んでしまいました。
物凄い読書力の松岡正剛さんのレビューを見るとどういうわけか「とても読み難く」と書かれていてしかも分析がいつもの迫力ではありません。
ご自身も書かれていますが「これは男が読む小説ではない」のでしょうか。
私はさほど読解力があるとも思えませんが少女時に読んだ時からネリ・ディーンが語るという構成も含めまるで映画を観ているかのように思い描きながら読めたように思えます。
なお、私が読んだのは旺文社文庫、中村佐喜子訳のものです。試しに他の翻訳を読んでみたら魅力が感じられないほどだったので私には中村佐喜子氏の訳がぴたりと合ったのかもしれません。
さて、この物語で描かれる恋愛はなにが違うのでしょうか。
以下ネタバレです。
キャサリンとヒースクリフの関係ははっきり恋愛なのですがそれでもその関係は他の恋愛ものとは何か違う不思議な感じを受けます。
ふたりは幼い子供時代に出会います。
イギリスの都会からはるか離れた田舎ではありますが裕福な屋敷に住むキャサリン兄妹の前に父親が「色の黒い子供」を連れて帰ってきます。
素性も判らず明らかに教育も受けていない様子で他民族(ジプシーか?)の色の黒い少年は「ヒースクリフ」と名付けられます。兄妹のうち兄のヒンドリはヒースクリフを苛め抜きますが妹キャサリンはすっかり彼が気に入り、ヒースクリフもキャサリンといつも一緒にいたいという関係ができます。
田舎のせいもあって二人は他の干渉を受けることもなくその幼い関係を続けたのですがキャサリンの家よりもっと金持ちの息子エドガァと知り合ってからキャサリンはエドガァと結婚することを唐突に決めます。それを知ったヒースクリフは家を飛び出し、数年後立派な体格の身なりになって戻ってくる、というのが始まって四分の一です。
女性は恋愛小説が好きとよく言われますが、私はあまり好きではない、とずっと思っていました。その理由の一つは私が読んだ書き手のほとんどが男性だったからかもしれません。男性が描く恋愛小説は女性にとっては疑問符がついてしまうことが多いのです。
そんな中で読んだ女性が書いた『嵐が丘』はそういった疑問などはさめない、というよりこれはただそういうことがあった、という事実だけの物語ではないかと思うほどでしいた。
しかしよく考えればヒースクリフのような男性は存在するわけもないのかもしれません。
この小説がエミリ・ブロンテという良家の子女によって書かれ世に出た当時の男性は恐怖したのだそうです。
思いもよらなかったのですが、ブロンテの同じようにイギリスの良家の娘である白人のキャサリンが「明らかに他民族である色の黒い男」と恋愛関係になる、ことが衝撃だったというのですね。
しかもキャサリンとヒースクリフは(たぶん)肉体関係はないのです。つまりセックスによって溺れた恋愛なのではなく「私とヒースクリフは同じ魂を持つ者同士」とキャサリン自身が言うとおり精神的に結ばれた関係だった、ということも当時の紳士たちには却って衝撃だったのではないでしょうか。
今以上に人種差別が激しかった当時白人の女性が教養あるしかも牧師の娘が「色の黒い外国の男」に精神的な恋をする、ことは理解しがたいことだったのでしょう。
キャサリンは若い娘らしい思慮のなさで「金持ちのエドガァと結婚し貧乏なヒースクリフに貢いであげよう」というとんでもない選択をしてしまいます。
無論ヒースクリフは絶望して家を出、何が起きたのか判らないのですが(軍隊に入ったのではないか、と言われる)堂々とした風格になり財産もある様子で帰ってきます。
キャサリンは言った通りエドガァと結婚しリントン夫人となって裕福に暮らしていました。
戻ってきたヒースクリフにキャサリンは隠すことなく喜びを表しますが夫のエドガァは不服です。キャサリンは次第に思い窶れ病気になってしまいます。そしてエドガァとの間の娘を残して死んでしまうのです。
キャサリンとヒースクリフの言葉がなんとも荒々しく激しい恋心を訴えていきます。
少女であればこんな一途で熱烈な恋をしてみたい、と思い描くでしょう。
ではなぜエミリ・ブロンテはその恋の相手に色の黒いよそ者を選んだのでしょうか。
きっと彼女の周りにいる男性は牧師である父親をはじめ体裁を気にする真面目な人ばかりだったのではないでしょうか。きっと「女はこうであれ」という厳しい規律もあるはずです。その中に彼女は魂の深い触れ合いを求めることができないと感じたのではないでしょうか。
魂が一つとなって激しく燃え上がるような恋、ができる相手はきっとどこか遠くの世界から来た男性だと彼女は思い願ったのではないのでしょうか。
キャサリンの愛はもちろんですがヒースクリフのキャサリンへの愛を語る部分は「こんなにも愛してくれる人がいるのだろうか」とも思えてこの本を読んだ少女は震えるでしょう。
大人となった私は「少し怖いしこういう人が犯罪に走るのか」と空しい感想を持ってしまうのですが、事実ヒースクリフの行動は犯罪的です。
同じ魂と思う愛しい人を失ったヒースクリフはエドガァの妹イザベラと結婚します。そしてキャサリンの兄ヒンドリが死んだので屋敷「嵐が丘」の主人となるのです。それらはすべてキャサリンが生きていた時からのヒースクリフの計画の実行でした。
イザベラは妊娠したままヒースクリフから逃げ出して遠くの町に住むのですが、数年後息子を残して死んでしまいます。
一方、エドガァはキャサリンの忘れ形見で同じ名前の娘キャサリンを大事に育てています。そして妹イザベラの死後、残された子供リントンを引き取りますが、これを知ったヒースクリフはその子供を取り上げてしまいます。しばらくしてエドガァが亡くなり娘のキャサリンとリントンを結婚させ、体の弱いリントンはすぐに死んでしまいます。
残されたのはキャサリンの娘キャサリンとヒンドリの息子ヘアトンだけです。
その上に立つヒースクリフは自分を苦しめてきたアーンショウ家の「嵐が丘」とエドガァのリントン家を両方とも自分の手にするのでした。
これでヒースクリフの復讐は終わりますが、彼が望む幸福は死だけでした。
死ねばキャサリンの魂とともに永遠に子供の時に遊んだヒースの咲き乱れる丘を彷徨えるのです。
頑健なためにとても早死には望めないと感じたヒースクリフは食事を断って死を選びます。
残された娘キャサリンとヘアトンはゆくゆく夫婦となるでしょう、と物語は不思議な調和を保って終わります。
物語の ヒースクリフをリアル世界の紳士である男たちが怖れた話は興味深いです。
ヒースクリフは現実にはいないのですが、時にそれは女性の夢として表れるのです。
自分たちと違う容貌がっしりとした体格に黒い皮膚、という男に恋をする美しいキャサリン。
男たちはそれを憎悪し、女たちは夢を見ました。
でも女たちが夢みたのはその風貌ではなく魂なのです。
エドガァの愛をちっぽけで貧弱だと蔑むヒースクリフは自分のキャサリンへの愛がどんなに深くキャサリンの自分への愛がどんなに強いかを訴えます。
ふたりが現実に結婚生活を送ることはできなかったのではないでしょうか。
荒野を永遠に彷徨う魂としてのみその愛は成立するのです。