ガエル記

散策

『子供の王国』諸星大二郎

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1984年発行、諸星大二郎珠玉短編集①の表題作です。

諸星短編マンガはとても面白くて忘れられないものが多いのですが、その中でも最近なにかと思い出してしまうのがこの『子供の王国』です。

84年に発行された作品集の中のものですが、ある意味今を描いたもののようにも思えますし、さらにある意味こうなればいいのに、と最近思ってしまうのです。

 

ネタバレになります。

 

世の中の人々が子供のままでいる「リリパティアン」という風潮に染まりそうでなければ生きづらいというサイエンスフィクションです。

 

人々が10歳前後で成長停止剤を服用し、子供の姿のままで生きるのが流行るという現象が起きます。裕福な人ほどこの傾向が顕著であり低所得者はそのまま大人になってしまいますが、「リリパティアン」に対し優遇するのが当然という社会が確立してしまっています。

そのまま大人に成長した主人公はこの風潮を苦々しく思い常に「狂ってしまった社会」への不満を口にします。一度大人になってしまった者は子供に戻ることはできないのです。

主人公の恋人も「成長してしまった大人の女性」であるのですが、「子供の姿のままでいる人々が優遇される社会」を受け入れている気持ちがあり主人公はそのすれ違いに苛立ち二人は喧嘩別れしてしまうのです。

主人公は愚痴りながら町を彷徨いますが、ある男から「成長してからも子供になれる手術があるがこれをやるともう大人にはなれない」ことを知らされます。

「子供のままの大人たち」の行動は次第に過激化していきます。

彼らに恋人を奪われ殺された主人公はひとりで「リリパット王国」を破壊していきます。

そして時代は移り世の中の人々は「リリパティアン」を忘れたかのように「普通の成長」に戻っていきました。

それを不可能な者を除いては・・・。

 

このマンガを読んだ当初は「こんな社会になるのは怖ろしいな」とだけ思っていたのですが、今現在の日本社会はほとんどこのマンガの様子と同じように思えるのです。

 

「子供のままでいる風潮」が姿かたち、ではなく精神において、ということでしょうか。

成長してきたはずの日本社会は成長を止め今や次第に縮小していっています。

怖ろしいのはそれを認めて改善を試みるのではなく「今の日本社会こそが正しくて、それを認めないものは反日だ」という言説です。

経済だけでなく教育、福祉、人々の気持ちや優しさやマナーなども成長できずにいるのが今の日本社会なのです。

忖度が横行し、さらに弱い者をいじめることで鬱憤を晴らすしかない社会を変えていこうという気持ちが非常に弱いのですね。

非常に幼稚な思考に頼る政権を正しいとしてそれにすがるしかない社会の在り方に絶望う毎日です。

性差別や性暴力が蔓延り、芸術に対する考え方の稚拙さ、収入は減るばかりなのに税金は高くなり人々の心はますます荒んでいくようです。

テレビでもネットでも少しでも叩ける要素があると見れば汚い言葉で罵り嘲笑うこの悲しい風潮はいつまでも続くのでしょうか。

 

最初に「ある意味こうなればいいのに」と書いたのはこの短編マンガの最後が「異常な風潮は熱がひくようにおさまってしまった」となることです。

 

皮肉として主人公は犠牲者となってしまうのですが、世の中の人々は「恐ろしい風潮」をすっかり忘れて「元に戻って」しまっています。

 

今の日本社会のぞっとする風潮はこのマンガのように過ぎ去って「嫌韓だの反日だの」と口汚く言っていた人々が「そんなことを言うわけないよ」という日々が来るのでしょうか。

日本人はころっと変わってしまう性格のようにも思えます。

良い方向へいくのであれば、ころっと変わって欲しいのです。