ガエル記

散策

『進撃の巨人』のすげえとこ

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進撃の巨人』のストーリーについてはやはり終わってからにしたい気持ちがあるのでここでは他の設定について色々考えてみます。

 

なんといっても「衝撃」と言っていいほどだったのは男女の性差別の緩やかさですね。

これも異世界ものを構築する時に作り手の想像力と技量を図る基準になるものですが、多くの人は今現在の自分のいる世界観による男女感覚から逃れられないものです。

そのためあえて男女の位置を逆転してしまうというような極端な世界観にしてしまったりするのですがこれは逆転すれば作者がどう考えているか判ってしまうことになります。(これは『大奥』の事ではないです。あれは単に男女を逆転させたわけじゃなくてそうせざるを得なかったという起点があって元々の男女性を踏まえています)

 

例を挙げてみると『機動戦士ガンダム』と『銀河英雄伝説』というほぼ同じ時期のSF作品があります。私はそれぞれ大好きな作品です。

この二つは同じように戦争を題材にしているわけですが戦争と言えば通常ではどうしても男性の比率が多くなるものです。ところが『ガンダム』のほうは男女性差が非常に自然に緩やかで女性の活躍が目に付くのが特徴です。

『銀英伝』では思い切り男女性差の描写を感じます。そもそも男性の登場人物が極端に多いことからも伺えますが、ラインハルトがいる帝国側が「昔風」という脚色があるとしてもヤンのいる自由惑星同盟側も男性主導であり物語の最後で「これからは女性も活躍するだろう」というような展開になるわけです。

もちろん『ガンダム』と『銀英伝』の世界時間が同じではないのですから比較できない、と言われるかたもありましょうが、物語というのは作者の好み・思考をそのまま映し出すものです。

ガンダム』『銀英伝』という二つのSF戦争ものを比較しただけでも男女性差は明確です。

さらに言えば異世界ものというのは往々にして作者や読者への欲望・願望を満たすために作られていくことが多いわけです。

男性作家であり男性読者をターゲットにしている場合は願望が露骨に表現されていくことはままあります。勿論その逆もまたしかりですが。

 

少年マンガでは長い間、男子はこうあるべき、女子はこうであって欲しい、という描写が続けられていました。

男子が活躍し、女子はそのご褒美となりうる可愛らしい美貌を持ち主人公を癒す性格と能力を作者によって与えられるのが当然でした。

進撃の巨人』の特徴はは優れた物語性だけではなく、少年マンガ特有のこうしたセオリーを破壊していった作品でもあるところです。

主人公エレンは少年マンガらしい正義感を持ってはいますがそれを実現できる力がまったくないというところから始まります。(その前に日本のマンガで主人公がエレン・イェーガーという外国人名なのも希少なのですが)

「駆逐してやる」というくせに立体起動装置を操る能力が劣っているのでしたね。なんとかできるようになっても巨人をたおすことがなかなかできません。

途中からやっと彼が巨人になれる、という特別な力を持つことが判りますが、いまいちそれを上手く使いこなせず進歩が遅いのです。こうした地道な成長を描く作者の根気に驚きます。

一方、ミカサは最初から驚異的な腕力・運動神経を持っている少女です。主人公の少年が「日本人」要素ではなく相方の少女に日本人名を与えているのも捻りです。ある意味、大和なでしこと言えなくもないですが、すらりとした筋肉質の体ですし、「くノ一」的と言えばそうかもですが。

そして主人公の親友にアルミンが頭の良い美少年というのもあまりない設定でしょう。アルミンは腕力はなくても個性的な発想で難事を突破していくという特色を持っていて彼が主人公なのもあり得ました。

 

最も凄腕の立体起動兵士のリヴァイは小柄で潔癖症、名前が可愛いサシャは大飯食らいで意地汚く、小柄で上品な顔立ちのアニは格闘家でブスと言われるユミルは一番美人のヒストリアと恋人同士のような関係。

 

そして何と言ってもハンジ・ゾエ。この作品は好きなキャラクターが多いですが、やはり一番はハンジさんなんですよねえ。

特にクールなリヴァイとホットなハンジ、という男女バディの最高峰を作ってくれたのは特筆に値します(さっき男女ダディで検索したら二人が出てこなかったのはハンジが女性でない疑惑があるからか?どちらでもいいんですが)

 

進撃の巨人』は特筆すべきものが多々あるのですが、この「キャラクターのバリエーションの豊富さ」は筆頭かもしれません。

描写力がない、とか画力が、とか言われてしまう作者氏ですが、このキャラクターの描き分けは他の誰もできない域にあると確信出来ます。

少年マンガだけではなく男性作家において女性の描き分け、というのは極端に少ないのが当然のようにあるのです。「主人公の恋人になりうる優しい美少女、悪女、その他」というのがあふれている中で女性キャラクターの差異をここまで描き分けきれる男性作家はいません。

例えば調査兵団をはじめ各兵団に男女が同等と思えるほどに存在すること。やや男性の数が多いのかもしれませんが昔のように10人の中で女性が一人、というようなこと真逆に女ばかり、ということにもしていないのは観ていてほっとする要素です。

 

そして最も重要なことは女性キャラクターを「読者の餌」にしていないこと、でしょう。

昔からではありますが、現在でも女性キャラクターは読者を釣るための撒き餌でありビジュアルも設定もストーリーも男性読者に受けるための性的描写がありすぎるのです。

進撃の巨人』ではそうした性描写が全く排除されていますが、それでいて確実にエロチシズムを感じさせます。

こうした表現の抑制と表現ができることは他にない優れた特質なのです。

 

まだまだ書き足りません。