風邪が長引いているので『ガンダム』続けます。
最初『ガンダム』を観た時にシャアは確かにカッコいいけど美形悪役の典型と言うだけと思っていたはずですが、シリーズをずっと見ていくと彼こそがガンダムの主人公だったということが判るのですね。
ではなぜシャアが主人公なのか、彼の原動力は「復讐心」に他ならないと思いますが、その復讐は何のためかいえばやはり「母を見捨ててしまったこと」なのだと思います。優秀な彼が最も守らねばならないはずの母親をどうするすべもなく見殺しにしてしまった呵責はザビ家への怨念となり彼の支えとなって突き動かしていったのです。
シャアがララァを「母となってくれるはずの人だった」というのはララァとの出会いで彼は「この少女を救うのは母を救うのと同じなのではないか」と考えたはずです。
シャアの母親は貴族ではなくララァのような平民であったと思います。虐げられるままのララァを見た時、シャアは自分の母親の姿と重ね合わせてしまった。ララァが単なる可哀そうな少女であれば庇護すればいいだけだったのですが、彼女はシャアの能力以上の優れた感能力を持つニュータイプだったことで彼は初めて幸せを手に掴むことができるかもしれないという予感を持ったのです。
これも他にない種類の作品ガンダムの特性であるわけですが、「美しく優しく、そして戦う男をいたわり家を守る女性を妻にする」ことが他作品の男キャラの「要求する愛の形」なのに対しシャアは共に戦い愛し合っていける女性を求めていたのでしょう。
それは戦うことなく死んでいった母への「こうであったら」という望みでもあったはずです。
ララァの存在はシャアにとって他に考えられない特別なものでした。
その彼女はアムロとの戦いの中で失ってしまった。しかもその時、彼女ララァはアムロと特別な感覚を持ちあった。それは通常の男女の間にはないものでありシャアであってもたぶんララァと感じ合うのは僅かなものでったものをアムロとの間には強烈に反応しあうのをシャアは感じ嫉妬したのだろうと思います。
しかもその戦いでララァを失ってしまうという悲劇が起きたのです。
シャアはすべてを失ってしまいました。
かつて兄を追うしかなかったか弱いアルテイシアもいません。彼女は母親とは違い強く成長し兄から離れていけました。
全てを失った男、シャア。『嵐が丘」が好きだった私には復讐を支えとして生きてきたヒースクリフがすべてを果たした時、死ぬしかなかったことと重ねてしまいます。
『ユニコーン』でフル・フロンタルがシャアの疑似人間なのか、という展開も含め、『ガンダム』という作品の中でシャアこそが真実の主人公だったのだと思わせてくれました。
他作品ならば美形の悪役、という配置であるはずの男が主人公である、ということもやはり『ガンダム』は特別に振り切った作品なのだと言えるでしょう。