ガエル記

散策

孫娘がいらない人と手をつなぐ人

読売新聞を購読しているのですが、いつもおかしく面白く思うのは「人生案内」という悩み相談の中でされる問題提議を同じ紙面の別の記事でサポートする、というのをいつもきっちりとられていてバランスを保たれていることです。

これはもう長い間読んでいるのですが、必ずされる配慮になっています。

 

例えば、

 

昨日の読売新聞の「人生案内」は『母が「女の孫はいらない」』というものでした。

実の母から「孫は男でなければ欲しくない」と言われた女性が里帰りで娘を出産されたのですがそれでも母親からは「女の孫は欲しくなかった。泣き止まず頑固だ」と言われ続けそれから母親との交流ができなくなった、どうしたらいいのでしょうか、という相談内容でした。

今どき、とんでもないことを言う母親だ、と怒りの声が聞こえそうですが、私もあきれ果てるとしか言いようがありませんでした。

と、同じ紙面の上の方に読者からのお便りコーナーがありましてそこには80代の女性が20代後半の孫娘と仲睦まじくお出かけをした、という文章が掲載されていました。

「沖縄に住む孫娘が帰省したので誘って一緒に展示会を見に行った。とても素晴らしくて二人で大はしゃぎ。一番嬉しかったのは孫娘が「迷子になったらいけん」と言って手を繋いで歩いてくれたことだった」

というような内容です。

つまり上の人生案内で女孫などいらん、といったその20数年後、このように幸せな未来があるのかもしれませんよ、という皮肉なあてつけ、よく言えばやんわりと未来を見せてくれているわけです。

 

自らも女性であり、娘を生んで育てその娘が女の子を生んでくれるという幸福を目の前にしてなぜそんなことをその女性は言ったのでしょうか。

本当ならばこのような幸せは願ってもそうそう叶うことはないほどの恵みであるはずです。

それを「いらん」という言葉で済ませてしまうのには何か深い意味があるのでしょうか。

相談をした女性の母親にどんな心の闇があるのかはわかりませんが20数年後とは言わずすぐ近い未来に小さな手で手を繋いでくれる幸せを捨ててしまうのはあまりに惜しい。

なにかのきっかけでその手をつなぐ幸運を取り戻してほしいと願います。

相談者の女性も母親の改心を妨げたりはしないはずです。

 

孫娘を得ることはどんな宝物を得ることより幸福なのに自らそれを遠ざけるとは・・・世の中には理解不能なことがあるものです・・・。