ガエル記

散策

『忠臣蔵 櫻花の巻/菊花の巻』松田定次

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観ている時は気がつかなかったのですが後でキャストを見たら浅野内匠頭萬屋錦之助が演じているのですね。1959年の作品で、当時27歳で頼りなさげな若き殿様を演じています。そして1978年『赤穂城断絶 』で46歳の錦之助大石内蔵助となるわけですが、同じ人物とは思えない貫禄の男でありました。まあ19年の歳月が経っているのですから当然ではありますが。

 

ところで「忠臣蔵」「赤穂浪士」という作品は長い間日本の年末に上演・放送される演目でありましたがこの最近トント目につかなくなりました。

時代が変わった、と言ってしまえばそれまでですがどういうことなのだろうかと思ってもいました。

 

これまで私は「忠臣蔵」という作品はタイトル通り日本人が大好きな滅私奉公・主君に忠義を尽くす、つまり民主主義とは真逆の封建主義の物語だろうと思い込みまったく観ないできたのでした。しかもおっさんばかりが出てくるし。

wikiにも

第二次世界大戦後の連合国占領下では、厳しい言論・思想統制が行われた。連合国軍最高司令官総司令部は日本国内での報復運動の高まりを恐れ、「忠臣蔵」を題材とした作品は封建制の道徳観が民主化の妨げになるとし(仇討ちという復讐の物語なので)、当事件を題材とした作品の公演、出版等を一時期禁止した」

とあります。

 

ところがこの年齢になって(遅すぎる)ちゃんと観てみるとこれはむしろ民主主義の話ではありますまいか。

もちろんいかにも武士らしい切腹だとか仇討ちだとか追い腹(後を追って切腹すること)だとかが出てくるのでそこだけを見ると勘違いしてしまいますが、物語の主幹となっているのは

「腐れ切った政府に対し力無き田舎者たちが精一杯の反抗を企てる」物語ではありませんか。

実際、新しく作られた『赤穂城断絶』だけでなく1959年の本作『忠臣蔵』でも「我らの仇は吉良上野介のみでなく片手落ちの沙汰をした幕府」と明確に言っているのです。

私が観たのはこれふたつきりですのでたまたま同じ言葉を言った作品に当たっただけなのか。他の作品はそうではないのかはわかりませんが政府に近い武士ではない、地方武士たちの心意気を観たと思いました。

単なる滅私奉公なのではなくいわば中小企業の心優しきリーダーが大企業と政府の暗い繋がりの前に倒産したのに見かねた社員たちが陰謀を見破り裁判に持ち込んだ、という物語なのではないでしょうか。

やみくもに切りかかったわけではなく大石内蔵助はじめ四十七士が計画を練り的確な下調べをしていく様子などは現在の情報収集と同じで面白く観れました。

 

忠臣蔵、の忠は仲間のリーダーにかかった忠であって幕府=政府ではないのです。

そして幕府=政府が片手落ちの処分をしたことに怒る。

大企業との癒着に対してちっぽけなグループが命をはって戦ったのであります。いわば政権に対しての反逆・テロリズムでもあるわけです。

 

上層部での癒着がらみが強い安倍政権としてはこの「忠臣蔵」は見せてはならない作品でありますね。これを観て中小企業や田舎者たちが発奮して政府への反逆を企てられてはたまらないわけです。

 

長い間、日本人がこの作品を愛したというのなら日本人の心には政府が腐ればこのように反逆する意志があるという意識があったからなのでしょうが、その作品を放送することがなくなり、観たいという気持ちすら失った日本人にはもう反逆者の心はなくなってしまったのでしょうか。

ブルーハーツはそう歌っていましたが)

 

武士たちの様式美の中にある「俺たちをなめるなよ」という意地を見てもらいたい作品であります。

 

追記:大石内蔵助が趣味人つまりオタクというのも共感できるところです。

(オタクは言い過ぎなんですが)

花の絵を描いたり歌が好きだったり。

あんなことがなければ良い趣味でみんなを楽しませる人生だったのかと思うと悲しいですよ。