ガエル記

散策

『彼らの犯罪』ー「親が・殺す」樹村みのり

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非常に読み応えのある短編集でした。

第一話・表題作でもある「彼らの犯罪」は同時期を生きていたものならほとんど聞いたことはあるだろういわゆる「女子高生コンクリート殺人事件」についてのマンガ作品です。心底ぞっとする怖ろしい事件ですが今回は第二話「親が・殺す」について書こうと思います。

 

「親が・殺す」の元となった現実の事件は1992年6月に起きた高校教師(当時54歳)とその妻が共謀して23歳の長男を殺害した事件です。

この事件についてはまったく記憶がありません。というのもその当時数年間私は仕事と育児に追われていてよほど大きな事件でなければ気にすることができない状態でした。文字通り無我夢中がむしゃらに生きていた頃だったのです。

コンクリート殺人事件の1989年はまだ余裕があった、というよりも多忙でもさすがに動揺させられる事件であったし何度も報道がありその後も長い間話題になったために覚えているのだと思います。

それと比較すれば高校教師による23歳の長男殺害は印象に残らなかったのでしょう。自分自身と重なる要素がまったくなかったせいもありますね。当時の自分は殺した親よりもむしろ殺された息子の年齢に近かったのですから。

 

そのマンガは1993年3月号に掲載されたものです。未読でしたがこれも当時読んでいたとしても第一話ほどのインパクトはなかったでしょう。

 

が現在この「親が・殺す」は衝撃として読めてしまいます。

それは去年2019年6月に起きた「元農水事務次官長男殺害事件」と重なってしまうからです。

しかも親子の年齢が元事務次官の関係よりも自分自身の親子年齢と近似していてぞくりとします。

 

報道的には元農水事務次官と高校教師とではバリューが違うと言われるかもしれませんがこの高校教師は東大卒というところが元事務次官と共通しており、勤務した高校も県下で一番のエリート校でありました。

本人はこの上なく真面目で人望が厚く生徒からも慕われており裁判前に7000人からの減刑嘆願書提出されたということから特別に優秀な教育者だったことが伺えます。

 

マンガ作品ではタウン誌の編集のバイトをする母親でもある女性の視点で描かれていきます。彼女は裁判を傍聴し実際の被告夫婦を見て「落ち着いて物静か、純朴」と感じ誠実な人柄であり申し分ない教師の姿を見てとります。

本名ではなく仮名で描かれていますが被告である父親は長男に自分と同じ読みをする名前を漢字を変えてつけているのです。

(マンガ内では高橋眞(まこと)と真(まこと))

裁判で何故同じ読みの名前を長男につけたのかと問われ父親は「この子が大きくなった時、あんなお父さんと同じ名前ではイヤだなと思われない生き方をしたいとの自戒をこめてつけたつもりです」と答えました。

なんという「スバラシイ答え」なのかと思われます。

 

時代が違うからか、経済力が違うからか、殺害が起きた年齢は大きく異なります。

1992年では父親が54歳、長男が23歳。

2019年では父親が76歳、長男が44歳。

親子の年齢はどちらもほぼ20歳違っています。

時代の流れで言えばこの30年の間に20代前半で自立しないことを良しとしなかったのがひきこもりという呼称で黙認されていった、ということにもなるのでしょうか。

 

逆に共通点は様々にあります。

親が東大出でありエリートと言われる地位にあり息子にも愛情をかけていたと言われること。

殺害されたのが長男であり、幼少期には優秀であったと言われていること、良い学校にはいったものの中学・高校時代から次第に軌道を外れてしまうこと。

微妙かもしれませんが高校教師が同じ読みの名前をそのまま付けているのですが、元事務次官は名前は違うのですが自分の名前にある同じ「英」という漢字を長男の名前に付けています。

 そして殺害の凶器が「包丁」であること。

銃規制がある日本だからとはいえ、同じように台所で使われるタイプの「包丁」で殺害した、ということには何らかの意味合いがあるのでしょうか。

「家庭内の暴力」ということが「包丁」に現れているということでしょうか。

事務次官の長男はアニメやマンガに興味を持っていてそういった仕事に尽きたいという願望もあったようです。

高校教師の長男は音楽の才能もあってミュージシャンになりたいと思っていたようです。

事務次官の妻については私はほとんど情報を知りません。

高校教師の妻は専業主婦であり夫に従順な、逆に言えば夫に意見をする女性ではなかったようです。つまり長男を庇うこともなく殺害の際には夫に協力してモデルガンで長男の頭を殴っています。夫の包丁が心臓をそれて刃こぼれしたために妻は替えの包丁を夫に渡し止めを刺しています。

 

殺害の最終的なきっかけは父親に対する罵声であることも共通しています。

高校教師は長男から「てめえ」と呼ばれたことで「親に対してこのような呼び方をしていては不幸になる」という考えにいたり妻と協力して殺害。

事務次官は暴力を受けた後「殺すぞ」と言われ恐怖で包丁を取りに行きそのまま殺害えいます。

殺害時期が同じ6月ということにも意味があるのでしょうか。

 

 

それに対する量刑はほぼ同じであるようです。

ですから元事務次官の執行猶予なしの実刑6年、と聞いた時は殺人事件なのにあまりにも軽いのではと驚きましたが前例に倣ったものではあったのですね。

 

1992年高校教師は執行猶予なしの実刑4年。妻は懲役3年執行猶予5年。

2019年元事務次官は執行猶予なし実刑6年。ですが異例の保釈金5000万円での保釈となっています。(その後どうなったのかは私は知りません)

しかし私はほぼ同じくらいの量刑と書きましたがもしかしたら本人はネットで調べた量刑と「2年も違う」と思ったかもしれません。

他にも同じような子供殺害の量刑にもっと短いものもあります。

被告がこれを不服として控訴したのでは、とも考えます。