樹村みのり、というマンガ家の名前を私はこれまでそれほど口にしないできました。
彼女の作品を知ったのは私が中学が高校時代か早い時期だったのですがその頃夢中だった萩尾望都や竹宮惠子さらに新しく出現した吉田秋生に比べると絵柄も古く内容が堅苦しく思えていたからでした。
時間を経て私は竹宮惠子・吉田秋生作品には違和感を覚えるようになって離れていきます。竹宮氏はマンガ作品を描くこと自体やめてしまったせいもありますが吉田作品は今も話題になる『バナナフィッシュ』時期にまったく読みたい気持ちを失くしてしまいました。彼女の持つ男性嫌悪感に耐えきれなくなったのです。
その後、私はマンガ世界そのもの(特に少女マンガ)から離れてしまいます。
再び読み始めるようになったのは結局萩尾望都マンガがきっかけで重ねて山岸凉子作品も『テレプシコーラ』から読み返し始めました。
そんな中この二人のようにではありませんが手放せないでいたのが樹村みのりの何冊かのコミックスでした。
いやむしろ少女期より今に至ってやっと彼女の魅力に気づいてきたように思えます。
その魅力とはなんでしょうか。
ネタバレしますのでご注意を。
樹村みのり作品には今の感覚で見るとかなり濃厚な人間関係が描かれています。
私が少女期からもっとも読み返した作品に「早春」という短編があります。タイトルからして少女マンガとしては堅苦しいものですね。
内容は中学生時代に急激に仲良くなった優等生少女と不良的少女の交流情景を描くものですが優等生少女がこれも突然不良少女に別れを告げてしまうことになるというものです。
物語はそのふたりが学校を卒業して何年も経ったある日突然元不良少女から元優等生に電話がかかってくるところから始まり、ふたりの思い出を描き再会を約束するところで終わります。
意地悪く考えれば学校卒業後突然かかってくる電話など「怪しい」企みがありそうとしか言えませんが、樹村みのりのマンガ作品の人間関係はこうした他の人間(特に日本人気質が強い人間)からすれば近づかないところにぐっと踏み込んでしまうことから始まります。
例えこの電話が怪しい理由があったのだとしてもそれはそれで一つの物語になってしまうのではないかとも思えるのです。
今回私が樹村みのりの電子書籍にとびついてしまった理由はかつて少しだけ読んでいた「パサジェルカ〈女船客おんなせんきゃく〉」を全部読みたいためでした。
嬉しいことにこの作品は『あざみの花』という本に収録されていて読むことができました。タイトルはなぜか『マルタとリーザ』に改変されていました。仔細はわかりませんが原案となった小説『パサジェルカ〈女船客〉』の一部のみをマンガ化しているということからかもしれません。
この作品もまた突然出会うことになった二人の女性を描いたものです。ただしそれは1943年のナチス下の強制収容所での看守と囚人という関係においてでした。
この物語もまた時が経て客船の中で元看守であったリーザが元囚人(もちろん単にユダヤ人であったという理由での)マルタではないかと思える女性を見かけたところから始まり過去の記憶をたどり、再びリーザがマルタに呼びかけ彼女であることを絶対とは言えないが確認するところで終わります。
原案となった小説は未読なのですがマンガ作品のみで見ればもしかしたらリーザの勘違いかもしれません。
「過去は解決のつかないままリーザを一人船の中に残した」と書かれてますのでリーザが見かけた女船客はマルタとは別人かもしれないわけです。
もし本人であったとしても再びリーザとマルタが話せる機会があるでしょうか。そして上であげた「早春」のように深い友情の再開を期待できるわけもありません。
リーザは誰よりも深くマルタに惹かれていたはずですが異常な状況での感情は「早春」のように育まれることはないでしょう。
それでも樹村みのりさんはこの状態の女性二人の関係にも「早春」の女学生たちにも同じような友愛を感じているように思えてなりません。
だからこそもっと長い小説であるらしい『パサジェルカ』からこの部分を抜き取ってマンガ作品にしたのではないでしょうか。