ガエル記

散策

アニメ「進撃の巨人」Season3 中身は少年マンガ論になってしまってますが

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アニメ「進撃の巨人」Season3から見直しているのですが、やはり面白いですね。しかしこの内容の複雑さ今現在いや過去のマンガの中でも他にないもので、これを子供・思春期に観ている人たちはいろいろと大変だと思ってしまいます。

進撃の巨人」の類稀と思えるところは色々ありますがひとつはやはり「日本ではないどこか」が舞台である、ということです。

私が子供時代(1960~70年代)の少年マンガは記憶する限りほとんどが日本が舞台であり登場人物特に主人公は日本人に決まっていました。「サイボーグ009」の島村ジョーがハーフであるということが際立っていたように思えます。

例外は同じく石森章太郎アニメ「原始少年リュウ」これは主人公は日本人ぽいが他はあまり特定されないイメージだったように思います。

最も変わっていたのは「荒野の少年イサム」でとりあえず名前は日本人ぽい。当時で言うアメリカインディアンを母、日本人が父というハーフで西部開拓時代のアメリカが舞台という異色ものでありました。

最も外国的だったのは「妖怪人間ベム」だと思いますがこれはもう日本人が登場しているイメージはありませんでした。(私がもっとも好きだったアニメのひとつです)

 

ここで少年マンガ、と書いたのは少女マンガの場合は昔から外国が舞台であることはあり得たからですが、そのことを含めてかつては少女マンガはほぼマスメディアに取り上げられることがなく語られることがない分野であったからでそのために独特の成長ができたのでもありますが、正直「ベルサイユのばら」が登場するまで少女マンガの地位というのは無かったに等しいと思います。

ベルサイユのばら」がまさに日本人と日本が全く出てこない作品でしたね。(むりやり日本人ハーフの少女が登場したりしない)少年漫画界ではありえないことだったはずです。主人公が日本人でなければ「共感」できない、という枷をはずしてしまいました。しかし少年マンガで同じように外国だけの物語、というのはそれ以降も(少なくとも有名な作品では)作られませんでした。

さらに舞台はほぼ「現在」でありました。ある時期は「忍者もの」というジャンルがありましたが特定の歴史もの、という設定がなされなかったのは何故でしょうか。

マンガで「お勉強」をしたくない、ということであったのか。よくわかりません。

ここで話している少年マンガと言うのは「私の子供時代の少年マンガ(1960~70年代)」なのでそれ以前の「鞍馬天狗」などが活躍した時代のことではありません。その頃はむしろ時代ものが流行りだったのではないでしょうか。

 

 それほど、特に少年マンガでは「日本と日本人」という枷付きでなければ物語は作れませんでした。

 

少年マンガは日本が舞台と言うのがほとんどで国際的な物語というのもなかなかありませんでした。スポーツジャンルが多いのにもかかわらずその試合はほぼ国内であるものでそれは主人公が10代の少年に限られていることもありやがては世界へ!というところで終わることが多かったからもありますが、10代でも国際的な試合をやってもいいはずなのにあまりなかったですね。「外国人」が登場する少年マンガってわずかでした。(戦争ものならどうしても「外国人」が登場せざるを得ませんが、対等に相手側も描く、ということはなかったでしょう。「あしたのジョー」「巨人の星」など梶原一騎作品は外国人がよく登場していたように思えます。それでも外国が舞台、ということもましてや外国人が主人公などはあり得ないことだったはずです。

 

では少年マンガで初めて外国人が主人公で外国が舞台というのはなんだったのでしょうか。

コブラ」は77年に初登場。80年代から活躍しているようですね。これはSFだったことも含めてさらにいろいろと異色作でした。ただし記憶ではかなりマニアックな反応だった気もします。

もっとも外国人主人公で外国舞台というと「鋼の錬金術師」でしょうか。登場は2001年です。しかも作者は(こだわらなくてもいいかもですが)女性なので、やはり男性作家の外国アレルギーは相当なものだったのか?とも思わされます。

とにかく「ハガレン」の登場は様々な面で後に続く人々に影響を与えたのではないでしょうか。

 

そして唐突に「進撃の巨人」ですが、舞台はどこなのか現在の感覚で言えばよく判らないですがとりあえず地名は日本ではない外国のようです。

主人公の名はエレン・イェーガー。女の子の名前のようにも思えますがとりあえず日本人ではなさそう。アニメでは髪の色は濃い茶色ですね。

他の登場人物もミカサという少女が日本名らしく感じるだけでほぼ外国名。

現在の子供たちは何の違和感もなく受け入れているのか、「日本人じゃないから共感できない」と思っているのか知りませんが長い長い間少年マンガでタブーとなっていたはずの「外国舞台で外国人が主人公」というものが目の前で破られたのです。

そのあたりの感慨がどう感じられているのか。「進撃の巨人ってなんで外国人ばかりなの?」というような疑問を私は見たことがないので(映画で「なんで日本人が演じてるの?」っていうのは見ましたが)あまりにもすんなり受け入れられているようでこの長い間のタブーっていったいなんだったのか?って思います。

もしかして男性マンガ家は一度もそういうことを考えなかった、っていうのが答えなんでしょうか?

少女マンガではあまりにもあたりまえに設定されていたこの「外国舞台外国人主人公」が少年マンガで初めて本格的に長期的に描かれているのにもかかわらずあまりにも反応がないのは単に少年マンガ家がやらなかっただけでやっていればとっくに人気漫画もたくさんできていたのか。今となってはよくわかりません。

 

しかし上にも書いたように「コブラ」はややマイナーであったこともあり、外国舞台外国人主人公の少年マンガが本格的に人気漫画となり得たのは「鋼の錬金術師」の登場からで21世紀を待たねばならなかった、ということでしょうか。

少女マンガではすでに数えきれないほどの外国マンガがあり、「ハガレン」の作者が女性だったことは外国への扉を開けるのは男性にとってはなかなか大変な勇気を持たねばならなかった、ということに思えます。

 

とはいえ、少年マンガの舞台・主人公が一気に変わっていくわけではありませんね。

「共感できる」というキーワードはいったいなんだろうか、と思っています。

 

追記:それだけではないから言い訳にもなりませんが「ジョジョ」を忘れていました。

掲載当時読んだと思うのですが、少年誌で思い切り外国設定で始まった時は驚きました。物凄い人気、ではなかったかもしれませんがジョナサン・ジョースターという主人公とディオという敵役にそれほど違和感を訴えていたようには思えないのですけど、なかなか外国設定が普及することはなかったですね。

今ではそんなこと自体、どうでもよくなっていると思っていますw