ガエル記

散策

『ソロモンの偽証』映画と小説の違い 5

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ブリューゲル「絞首台の上のカササギ

 

続けます。

 

地味に読み続けています。そして毎回なぜここを映画にしなかったのか!といきり立っているわけです。

何度も何度も言いますが、物語の中心人物である柏木卓也を映画では矮小化し紋切り型のサイコ野郎にしてしまったのはどうしてなのでしょうか。

人間の心は複雑ですが特に14歳、中学二年生の時期は繊細で多感でかつ未熟であるがために極端な思考になることもあるわけです。

この作品はそこを描き出したものなのに映画化に際してその象徴である柏木卓也をないものにしてしまったのです。

日本映画がつまらなくなっていく原因はこうした心理を描き切れず、いや描こうともせず短絡的に表層のみを映してしまうからにほかなりません。

映画『ソロモン』ではステレオタイプの生徒や親が並べられてしまいました。レビューを見ると「つまらない」という言葉が連なっていますが、優れた原作小説をよくもここまで屑化してしまったものだと思います。

もし映画だけを見て不可の評価をされている方がおられたら是非原作小説を読んでください。小説はまったく違う高い価値のあるものです。

 

ネタバレになります。ご注意を。

 

 

 第Ⅲ部「法廷」で語られる重要な証言のひとつが丹野先生の柏木くんとの思い出です。

「ユーレイ」とあだ名されている美術の丹野先生は学校内でも目立たない存在です。同じように目立たない存在であり病弱で同級生から疎外されていた感のある柏木くんは絵が得意だったこともあってかユーレイの丹野先生のいる美術室に十数回個人的に訪れていたというのです。

男性教師と男子生徒ではありますが昨今の例として恋愛感情を想像する節もあるかもしれませんが、そういう描写ではありません。

しかし見た目も冴えないおどおどしたユーレイ教師と思い詰める性格の少年との語り合いの風景は最も映像化したい光景だと私には思えるのですが、何故映画化の際にこの丹野先生と柏木くんとのエピソードをそっくり失くしてしまったのか、一番美味しい部分を捨ててしまった料理を出されてしまったように思われます。

そんな映画に観る価値はあるのでしょうか。

映画人のセンスというのはどうなっているのか、不思議でなりません。

 

まだまだ続きます。