【学びの基本】は?そんなことも知らんの?と言われた時にどうするか?ジャーナリスト烏賀陽弘道さんと一月万冊清水有高。
違和感を大事にする。
なぜ?どうして?と思った時にそれを知りたいという欲望が生まれ勉強していく。
安倍政権になるまで私はほとんど政治について勉強しようと思う気持ちがなかったのですが、安倍首相になってからその期間が伸びれば伸びるほど「なぜ日本はこうなってしまうのか」という疑問が生まれそして勉強をする機動力になっていったと思っています。
日本の教育はなぜこうも「何も教えない」カリキュラムとなっているのか。
例えば英語ひとつとっても「6年間(今ではもっとですか)英語を勉強したはずなのに会話すらできない」とよく言いますがこれも「絶対に英語を理解できないようなカリキュラムにして英語圏の情報を受け取れないようにする」ためだと思っています。
国民の大多数が海外の情報を受け取られてしまっては日本だけの政治ができなくなってしまうからです。
実生活で本当に必要なものは学校で学ぶことはできません。
実生活で必要なものを学校で教えてしまうと「賢い人間」が出来上がってしまうわけでそれでは日本政府は困るわけです。
日本政府にとって欲しいのはとりあえずの読み書きができる「無知な人間」であるわけです。
簡単に騙されてしまう素直で実直な人間が「良き日本人」なのです。マジで死んでしまうまで働き続けてしまう人間を増産したいのです。
次々と増税しても声も挙げず、様々な暴力にじっと耐え、弱い人を叩くことで満足するという人間を作ることです。
それは安倍政権になってから作られたものではないので安倍首相だけを取り替えても結局は同じことが繰り返されてしまうのです。
日本の構造そのもの、思考そのものを変化させていかなければ何も変わらないのです。
しかし今までも「少しずつ変えていこう」としても変わらなかった社会は何かとんでもない転換期がなければ変わらないように思えます。
かつての敗戦はその重要な時期だったはずですが、日本人はそこで変化する道を誤ってしまいました。
一時的な経済成長、という選択をしてしまったのです。
しかしそれはほんの一時的なものにすぎませんでした。
しかもその一時的な経済成長を優先するために日本人はあらゆる犠牲を払ってしまったのです。
今現在そのツケは大きく膨らみ爆発しそうです(『AKIRA』のテツオのように)
突然起こった「コロナウィルス」はその重要な転換期となるのでしょうか。
戦争でも変わり切れなかった日本人が「ウィルス」によって変化することができるのかどうか。
私たちはもっと多くを学ばねばならないし考えなくてはならないのです。