ガエル記

散策

『THE BOYS』シーズン2まで鑑賞完了

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シーズン2まで鑑賞完了しました。

結果、なんでしょうか。虚しさを感じています。とても興味深く飽きさせない作りでしたが、答えとしては「この争いから離れていきることが幸福なのだな」としみじみ思います。

むろんそういう意味でも最後にヒューイが決意したことは真っ当なことだと思えますし、アメリカンヒーローというのは自我を捨てて世界と正義のために戦う者なのだと描かれ続けてきたわけですがいっそのこと皆がそうした争いから離れてしまうことでしか幸福は来ないのではないのでしょうか。

とはいえ時にはそうした決意も必要となるのでしょうが。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

とはいえ現実社会では突然に皆が競争から離れ皆が公平で幸福になれることなどいつ叶うのか想像すらできません。

本作ではキリスト教会がその平安のイメージを持つべきなのかもしれませんがその教会社会は平安どころかさらに強固な競争社会となっているようです。

 

本作では度外れに強烈でグロテスクな暴力表現が止むことなく映され続けますが私にはそれほど衝撃ではありませんでした。

なんとなれば現実ではそれ以上に恐ろしい行為がこれも止むことなく続いているからです。

やはりグロテスクというものは大きな描写ではなく個人に焦点を当てた時に感じるものなのではないでしょうか。

 

とはいえアメリカ社会で賞賛され続けるヒーローというものアイドルというものとそうした虚像を作り上げてしまう企業に対する批判は日本でもそのまま通じるものであるし多分どの国でもそうした感覚は同じなのではと想像されます。

ヒーロー・アイドルを創り出すためなら人権もなにもない。肉体も精神も整形され変形され造形されダメになったら捨てられる。

ガンダムでは戦争のためにニュータイプを模した強化人間が作られますが本作ではアイドルになるための強化人間なのです。

 

シーズン2の続きは勿論作られるようですがこの手の話にキリはないのでその気なら永遠に続けられます。

今の私はもうここまででいいかな、という気持ちです。最初に言ったように「答えはこの争いから離れることこそが幸福だから」です。

 

本作の主人公はやはりホームランダーです。

私はどうしても萩尾望都残酷な神が支配する』のグレッグを思い出してしまいます。

優秀な人間、誰からも尊敬される理想の男性であるために義理の息子をレイプし続け「私が善人であるためには生贄が必要なのだ」と嘯くグレッグです。

アメリカの正義を守るために」と称して敵とみなす異国人を焼き殺して快感を得ているホームランダーとグレッグはそっくりです。こうした思考回路はありがちです。

 

そして気になるのはやはり所詮主人公は白人なのだなということですね。こうしたところもアメリカTV界の事情、というのがあるのでしょうか。

マイノリティを最大限描いているようですが主要メンバーと主旋律は白人だけで回っていきます。多人種はカットしても内容はそのままなのです。

白人同士の絡みはかなり濃厚ですが白人対黒人、白人対アジアンの触れ合いはしない、というのがルールなのかもしれません。

日本人キミコが「しゃべれない」という設定なのも英語苦手日本人という特色がそのまま表現されているのです。

一見、様々なポリコレを考えて作られている作品のようでいて根本的には何も変化していないのです。

もちろん日本を含めアメリカ以外の国でも同じかそれ以上に閉鎖的だとは思いますが。

 

とりあえず『THE BOYS』鑑賞はここまでと思っていますがいろいろな場面でこのドラマを思い出すのかもしれません。