大好きだったマイケル・ジャクソンを偲び安冨歩著『マイケル・ジャクソンの思想』を読んで彼の解析を学ぼうとしている時にこのドキュメンタリーを観るのはどうなのだろうかという迷いはありました。
ネタバレしますのでご注意を。
この映像は二人の白人男性が少年期(7歳から14歳までと10歳から14歳まで)にマイケル・ジャクソンから性的虐待を受け続けていた、という告発のドキュメンタリーです。
無論私はマイケルが訴えられていたことは知っていましたがこの映像についてはまったく知ろうとしていませんでした。
なのでこの映像自体怪しいものなのではないかとすら思っていました。
マイケルが小児性愛者であることはこれまでの情報から確実だとしてもその被害を訴える人物とそのドキュメンタリー作品が真実であることは別の話であると思えたからです。
しかしこれは、これこそがマイケル信奉者(実際の被害者も含む)の陥るカリスマの魔力、威力なのでしょう。私も心の中ではマイケルが子供を傷つけるような人間ではないと信じたかっただけなのでした。いつもは性虐待者に対して怒る私も彼に対してだけは目をつぶりたかったのです。
私はこの映像が馬鹿々々しい戯言であることを願っていたのです。賠償金目当てで冤罪を吹っ掛けマイケルを罵る醜い表情が映し出されるのを信じていたのですが、告発をした二人の男性とその家族の言葉は非常に心のこもったものでしかありませんでした。
4時間ほどもあるドキュメンタリーが始まってかなりの時間、疑惑の人物たちの告白を聞いているだけの苦行を強いられますが、次第にこれは思っていたのとは違うと気づきました。
彼らの発言がずっとマイケルへの尊敬に満ちた好意が核心にあるのは変わらないのです。マイケルが彼らに虐待を続けていく時点にきても彼らは誠実であるのを感じてから真剣に観てしまいました。
悲しいドキュメンタリーでした。
彼らは幼い少年でしかありませんでした。
マイケルが大好きで尊敬し神とも崇めていたのです。マイケルの格好をし、彼のダンスをマスターしてメディアでもてはやされマイケルの目に留まったのです。
二人とも白人で非常に愛らしい容姿をしていました。子供のことなので家族が認めてくれなければどうしようもないわけですが双方ともに母親がマイケルに対して尊敬と愛情を持っていました。もしここで人種差別の感情があったのなら進展はなかったのです。
ひとりの母親はマイケルを自分の子のように愛したと言っています。
もうひとりは我が子をダンサーとしてマイケルに売り込みたかったと。これは母親としてよくある話です。
マイケルは二人の母親のそんな気持ちを利用して彼女たちの息子を自分の家に引き込んだのです。
このドキュメンタリーはどうしてこうも長いのでしょうか。
それは小児性愛者が非常に手に入れにくい他人の子供を安全に引き入れる過程が細かく説明されるからです。
家族ごと信用させたマイケルは疑念をおこさせることなく少年たちを「ネバーランド」に引き入れました。
少年たちは互いに会うことはなかったため(これも巧妙に仕組まれていたのです)マイケルとひとりの少年だけの濃密な関係が築かれます。
広大な土地に遊園地まである夢の国「ネバーランド」で少年は思う存分遊び、そしてマイケルから性愛を教えられたのでした。
そしてマイケルは「このことがバレたらふたりとも一生刑務所に入らねばならない」とも教え込みます。
これはナボコフ『ロリータ』でハンバート・ハンバートがロリータを脅した言葉と同じです。
ロリータの気持ちは小説に書かれることはありませんでしたが二人の少年はふたりとも「マイケルを刑務所に行かせてはならない」と誰にも言わなかったのです。
そして虐待を受け続けた数年間ふたりともそのことを嫌だとも思わずただただマイケルから愛されていることを嬉しく思い声を掛けられることを待ち続けていたというのです。
しかし彼らは「成長」という当たり前の現象が待ち構えていました。
それでなくともマイケルの側には一年に一度新しい少年が加わることに母親は気づいたと言います。
ふたりは次第に遠ざけられマイケルから声がかかることがなくなったのですが、そのことをふたりは「新しい少年の出現に嫉妬し苦しんだ」と言うのです。
結局ふたりとその母親たちはマイケルと家族になれるわけでもなく出世の糧になることもなかったのです。
それからのふたりの男性の苦しみを私は想像するなどできないでしょう。
ふたりともやがて女性と愛し合い結婚し子供が生まれるのです。
生まれた子は男の子であの時の年齢に近づくほど心が苛まれると言います。
母親たちは我が子をマイケルに近づけてしまったことを悔やみ続けます。
彼と触れ合った数年が彼らの一生を変えてしまったのです。
このドキュメンタリーは彼らからだけの告白でマイケル側のものはありません。
それは作品として正しい選択だっと私は思います。
彼らは今でもマイケルを尊敬し愛し、だからこそ辛く悲しいのです。
せめて彼らが愛する人と出会え家族を作れたことに安堵します。