ちょっとこの感情をどこにぶつけていいのかわからないほどです。
現在ではもう感動するラブストーリーなど観ることはできないのではないかと思っていました。確かにこの物語自体の時期は昔(1920年代)のものではありますが現代にこうして蘇らせられ観る者の胸を強く打ってくるのです。
以下ネタバレしますのでご注意を。
ラブストーリーと言いながら金子文子と朴烈は一度のキスも抱擁もむろんセックスの場面もありません。
なのに二人は出会ったとたん恋に落ち互いだけを愛するようになるのです。
若干文子のほうが積極的というよりも強引に朴烈に挑みかかっていくのですが朴烈はそんな文子の無茶苦茶でやや狂気にも思える恋慕をしっかり受け止めてしまうのがこのふたりならではの恋愛物語なのでしょう。
肉体的な触れ合いは画面上では唯一残る実際のふたりの写真での寄り添った場面だけでした。
寄り添う、というよりかなり不自然にもたれかかる文子を朴烈が抱き留めているように見えます。この姿勢、この写真が二人の関係をそのまま表しているようです。
文子も朴烈も魅力的でした。周囲の仲間もふたりを応援しているのですが最初嫌な感じの看守長までが次第にふたり特に文子に共感していく様子がおかしくもあり人間として当然だとも思えました。
最初から共に死刑になることを目指して突き進んでいったかのように思えるふたりでした。
少なくとも文子はそう信じていたのです。
一方の朴烈は愛する人を助けたい気持ちがあったのではないでしょうか。
映画からはそういう心情が伝わってきましたが事実は逆になってしまいます。
文子の死の原因はなんだったのか、それはもうわかることはないのでしょう。
韓国語の原題は『朴烈』だけですが日本語タイトルは『金子文子と朴烈』となっていていつも日本ポスターにがっくりする私も今回のみは日本版に軍配を上げたい気持ちです。
多くの観客もそう感じられたのではないでしょうか。
本作の金子文子の魅力は壮絶でした。それはいったいどうして生まれたのでしょう。
彼女の生い立ちは残酷です。この映画ではあまり語られていませんが彼女についての記述をかつて読んだ記憶があります。
文子は日本で生まれていますが両親から愛されることもなく朝鮮にいる親戚の養子となりそこで悲惨な幼少期を送ります。その養父母から文子は虐待されむしろ近辺に住む朝鮮人の親切を受けて育ったのでした。
肉親である日本人を憎悪し周囲の無縁の朝鮮人に愛情を持った文子は日本に戻ってからも自然と朝鮮人たちが住む町を親しんだのです。
そして既存の枠組みを破壊し新しい社会主義の国を作ろうと考えていくのですが本作の文子はそうした辛く重い生い立ちをまったく感じさせない明るさで飄々と生きているのです。
朴烈だけでなく仲間たちも文子の美しさと気立てをとても愛しているのがうれしい映画でした。
壮絶な思想運動もさることながらやはりこの一枚の写真がこの映画を作らせたのではないかと思います。
そんな昔のものとは思えない愛情ある写真です。ふたりともほんとうにかっこいいのです。