イ・ジュニク監督作品を観ていこうということで次の作品がこれなのですが説明を読んで心が絞られました。
8歳の少女が性虐待を受けた実際の話の映画化とあって何度も躊躇してしまいましたが一度観始めると最後まで観てしまいました。
思った以上に残酷で辛い内容でしたが,wikiで実話を読むと事実はもっと惨たらしいものなのです。
映画作品として実話よりも軽い(これでも軽い!)設定にしてしまうのは臆病のようにも思えますが実際映画を撮るとして事実を語るのはあまりにも辛くできないのではないかとさすがに考えました。
そしてwikiを見てぞっとしたのはこの実際の犯人が2020年12月13日に出所する予定である、と書かれていたことです。
偶然この時期に映画を観てしまったのですが、映画の中でも被害者家族が僅か12年で犯人が出所してしまうことに恐怖し絶望し怒る場面があります。しかも犯人は(事実かどうかはわかりませんが)被害者家族に向かって「いつまでも俺がここにいると思うなよ」とうそぶくのです。これは犯人が「出所したらどうするか考えろ」と言っているわけです。
映画自体は2013年に製作されたもので事件は2008年に起きたのですがちょうど12年経ったこの時期に映画と出会ってしまったのでした。
映画はこれまで観てきたイ・ジュニク監督の才能と技術が確認できる素晴らしい出来栄えです。しかしこの映画に関してはそうした感心は忘れてしまうでしょう。
そしてやはり感動してしまうのは被害者である小さな女の子に周囲が懸命に心を尽くしてくれることです。
事件を知って集まってしまう報道陣は日本でもどこでも同じですが「事件を知った友人女性が噂を広めてしまう」といら立つ母親に対しその友人女性が怒ることもなく気遣って見舞いに訪れ抱き合って泣く場面は泣かずにはおられません。
そして「あの日ソウォンと一緒に学校に行けばよかった」と泣く同級生の男の子にも泣けました。
娘を助けたくても空回りしてしまう両親そしてなんといってもあまりにも悲しい被害者の少女がけなげに事件と立ち向かい両親を思いやる心に良い子過ぎると思いながらもやっぱり泣けてしまいます。
「レイプ」というものを誰もがどんなふうに考えているのでしょうか。
一時的な痛み?癒えない心の傷、と言いながらもいつまでも引きずらないで忘れてしまえというような?
しかしこの事件の少女はこの事件で犯人の身勝手極まりない犯行で膣と大腸の80パーセントを損失し視力も低下したと書かれています。
小さな女の子は常に大便をためる袋をおなかに装着して生きていかなければならないのですが、それを「レイプなど一時的なもの」と言える人がいるのでしょうか。
映画では娘と両親の強い愛情が核となっていてそれだけが救いです。
そしてソウォンの友達(女の子の友達を出さないのは心遣いだと思ってしまいます)両親の友達の思いやりがなければとても耐えられない映画でした。
そしてwikiでも驚かされました。
実際も裕福ではない(というか普通ですよね)家族は彼女の治療のために市から多額の支援金を受けていたのですが市が全額返却を要求したためにネチズンの批判が市のホームページに殺到したというのです。市は要求を撤回し基礎生活費も再び支給することで騒ぎを収めたとあります。
こうした事例は日本ではあるのだろうか、と考えてしまいます。
ソウォンを守る思いやりに関しても日本ではどうなのか。
実際被害にあった女性に対しての反応を思い出すと心がふさぎます。せめて小さな少女に対しては同じように思いやれるのでしょうか。
そしてwikiでは「ナヨン事件」と呼ばれていて彼女の名前がキム・ナヨンと書かれているのですがこれは(仮名)だと書かれています。
しかも韓国では犯人の名前を言うべきだとして「チョ・ドゥスン事件」と呼ばれているということです。
こうしたことも日本人と韓国人の考えの違いを表しているように思えます。
実際の判決は「酔っていたために罪が軽くなる」という日本の刑罰に似たものがありますが市民の考えと実行力はかなり違っているようです。
作品内容は家族や周囲の人々の愛情を感じる素晴らしい映画でしたが、やはり一番願うのはこうした恐ろしい犯罪がもう起きないことでしかありません。
映画にはこうした思いを伝える強い力があるのです。
性犯罪に対してどう対処していくのか、特に子供たちを守るためにはどうすればいいのか。
この映画でさらに考えさせられます。