既にタイトルとは離れてきていますがそのまま書き続けます。
この話題は今回で最後にするつもりですがそのヒロインは浮舟です。
田辺聖子著では『霧ふかき宇治の恋』に登場する浮舟はその生い立ちもあってやや軽んじられる存在です。
薫の君と匂宮というふたりの美貌の貴公子に同時に言い寄られますがふたりの男たちにとって浮舟は正妻ではなく軽い愛人でありむしろライバルであるお互いの敵愾心を強く感じます。
しかし貴公子たちの駆け引きの間にいる浮舟は真剣に悩み苦しむしかありません。
ついに浮舟は「世間の物笑いになるのならいっそ死んでしまおう」と極端な決意をします。「薫様にも宮様にもやがて疎まれ捨てられ落ちぶれてさすらうかもしれぬ」とすでに彼女は察知しているのです。
同時に浮舟は親より早く死ぬことが一番惨い親不孝になるのを案じてもいます。それほど深い学問をした姫君ではなくとも仏の教えがいつしか身についていたのでした。
浮舟はその後川に身を投げますが死ぬことはかなわず尼僧たちに助けられ命を取り留めます。
今度こそはと出家を願い出ますがあまりの若さと美しさにに僧侶も気後れしてしまうほどでした。それでも浮舟は尼僧となりますが今度は薫の君に見つけられてしまいくどくどと恨みつらみを告げられてしまうのです。
浮舟の物語は読んでいてまったくじれったくイライラとするものです。
彼女自身「私はどうしてこうも思いきりがないのだろう」と泣いてばかりいるのです。
しかしその優柔不断さがかえって現在の女性を思わせてしまいます。
いわば彼女は紫の上や女三の宮のように光源氏のような保護者の男性にこう言われたからといって素直に「はい」とそのまま従うことができず迷っているのです。
この迷いこそが言われたままに動いていたかつてのヒロインと違うのです。
戸惑い迷いながら浮舟はじりじりと自分の道を歩んでいきます。その行動は他人から見ると決して褒められることではなくいつも叱られたり呆れられたり慰められたりすることばかりなのです。
一つ一つの出来事にいつも驚きへまばかりしている浮舟。「あなたって方は」とたしなめられてばかりいるのです。すぐに決意できずうじうじと(もしかしてそういうダジャレ?)思い悩みまた後悔するのが浮舟なのです。
その浮舟が最後に再び薫に「あなたは酷い仕打ちをした」と叱責されそれにすぐ返事が出来ずまた怒られます。ほんとうにむかつく女性が浮舟ですが誰もが彼女と同じであるのではないでしょうか。
匂宮はとっくに別の恋を探し始め、薫はわけのわからない浮舟のやり方に呆然唖然として「ほかの男でもできたのか?」と的外れな妄想を始めます。
そんな夜更け、浮舟はやっと恋の道と決別し仏道に入る決心を固めたところで物語は終わります。
紫式部が書いた『源氏物語』のなかでたびたび「出家」という言葉が出てきます。
もちろん男性もしますが女性にとってこの言葉は最後のよりどころとなるようです。
しかし光源氏にすべてを拘束されていた紫の上はこの「出家」の願いすらかなえてはもらえないまま死んでいきました。
一方冴えない存在だった女三の宮は源氏に愚痴を言われながらも颯爽と出家してしまうのです。
「出家」とはもちろんこの俗世を捨てて仏門に入ることです。
女性の象徴であり当時女性の美そのものだった長い黒髪を切り落としてしまうのは「性を捨てる」ことであり男性から女性として扱われない、ということなのでしょう。
しかし文字だけ見ると「出家」が「家を出る」なのは特に女性として深い意味があるように思えます。
家の中にいることこそが女性としての価値であるのなら家を出た女はどんな価値になるのでしょうか。
『源氏物語』の中で家の中にいる女性は男性に好意を持たれ性交の相手となり子供を産み育てる存在としてのみ価値を認められます。
末摘花は顔が醜いために源氏にとって性の相手としての価値がなく花散る里は性の相手としての価値はないが優しい性格のため話し相手と子育てのため価値を認められます。
明石の君はすべて優秀なので性の相手としても合格で子供を産みます。
葵上は傲慢で好意は持てないが他は優良なので子供を産みました。
紫の上は子供を産めませんでしたが他はすべて最上級なので女性でなくなってしまう出家を認めることは源氏には許されないことだったわけです。
玉鬘はすべて優秀な上に行動力もあったので源氏以外の男性と関係し子供を産みます。
そして光源氏以後の物語のヒロインとなった浮舟は男性が求める性の相手として素晴らしい魅力を持ちながら「出家する」という男性がもっとも嫌がる行動を果たしてしまうのです。
狂おしい悩み苦しみの果てにですが。
現在に当てはめればこの「出家」というのは「独身のままで働く」という選択に近いようにも思えます。
ネットでは「男に仕えない女」に対する男性陣の愚痴が多く見られます。
最近では「わきまえない女」という言い方も出ました。
浮舟はまさしく「わきまえない女」です。
誰もが憧れる匂宮からの求愛から逃げ出し、人格者薫の君の助言も断ってしまいます。
これほど高い地位の男性に付き従わない女なのが浮舟なのです。