凄まじいイメージが怒涛となって溢れ出してくる作品でしたね。
少女にとって自分が女性であると認識することがなんの躊躇いもなく誇りとできる日は来るのだろうか、とさえ考えてしまいます。
本作はいわばそうした決断をした少女たちの物語なのではないでしょうか。
とはいえ多くの方が指摘されているとおり本作はTVアニメシリーズの補佐として鑑賞するものなのでしょう。私自身はTVシリーズを観てしまっているので観ないまま本作に出会った鑑賞者がどのように思うのか「なにこれ?」となるのだろうなと想像はします。
自分を殺して生きる、死んだまま生きることを選択できれば幸せでいられる。
しかしやはり自分を殺して生きることを選べばいつか必ず後悔してしまうのです。
男性は男性の苦しみがあるように女性もまた女性の苦しみを耐えるようにと社会は運命づけました。
そのしがらみを断ち切るべきだと女性たちが活動を始めて長い時間が経ちましたがその壁はあまりに高く分厚くその外へ出るのはまだ先のようです。
ウテナがその身を車に変えて囚われのアンシーを外へ運ぶイメージは素晴らしい。
その行動を阻止する者もいれば応援する人たちもいるのです。
性の相手であり男性の遺伝子を伝える子を産むためであり、家事育児を担うため主人の支えとなるために女性は存在してきました。
それは男性のためにすべきことではなく男女両方の目的であり手段であるはずなのです。
もちろんそれが女性同士男性同士のためであってもいいのです。
現在アニメ作品の多くは現代に生きる苦悩の解決を様々なバトルの形式で表現したものがメインであると言えます。
幾原邦彦監督はその中でも極めて劇的な手法で特に少女時に少年の苦悩を表現してきました。
私は少女の苦悩を直視することが怖ろしくて長い間それを避けてきたようにさえ感じていますが、やはりそれから逃げてはいけないと最近強く思っています。
そして少女たちの戦いは少年のそれとは違うものでもあると思っています。
時間が経ちすぎてしまいましたが幾原邦彦という表現者を知ることができて本当によかった。またここから受け継がれていく表現者が増えることも期待したいものです。