ガエル記

散策

『私の名はパウリ・マレー』ジュリー・コーエン, ベッツィ・ウェスト

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1910年に生まれたパウリ・マレーは黒人であることで人種差別を受け、女性として生まれたことで性差別を受け生涯にわたってそれらの差別と闘い様々な功績を残しながらもあまり語られてこなかった存在でした。

むろん私はこのドキュメンタリーで初めてパウリの名前を知りました。

この中でも語られていますがパウリ・マレーの名がもっと知られていたら様々な場所や作品の中でその存在を意識したエピソードが生まれていたに違いありません。

また同時にパウリのような存在はもっと多くあったのにその名を語られることがないのかもしれない、と思わされました。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

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なんという人生なのでしょうか。

パウリの若い頃は黒人差別が当たり前でそれと立ち向かうにはリンチの危険さえ考えなければならなかったのでした。

パウリは黒人には戦う武器が必要だと法律を勉強し弁護士を目指します。

同時にパウリは女性差別を受け資格を勝ち取りながらもハーバート大学院へ進むのを拒絶されてしまうのです。しかしパウリ自身は「自分は女性ではなく男性ではないのか」と疑惑を持っていたのでした。

胸が薄くひょろりと痩せた体であるパウリはもしかしたら自分の体内に精巣が隠れているのではないかとまで考え検査を受けるのですが結果は「異常なし」だったのです。

たぶんパウリは性的関心の方向が女性に向かっていたのでしょう。しかし「自分が男性かもしれない」と考えたのはそうした社会の性差別が反映していたのではないのでしょうか。

現在社会でもジェンダー問題は模索中だと私は思っています。なので今パウリが生きていてもはっきりとした答えは出せないのかもしれません。

というかジェンダーの詳細な区分けは意味がない、と私は思っています。

それは社会の常識が強く関わってしまうからです。

例えば「女性はこのジャンルを好む」とか「男性向けの〇〇」という区分けがなされてしまうとそれによって自分はもしかしたら、という認識を呼ぶことでジェンダー意識をすることがありうるからです。

パウリ・マレーもそうした自分へのジャッジがあったのでは、と考えてしまいます。

とはいえパウリの私生活は秘められていたということですしパウリの容姿も服装も極端に男性性を強調しようとしている風ではありません。

そうした意味でもパウリはできるだけ自然に平等に自由にを目指していたのではないかと考えるのです。

 

「魂のパートナー」とも表現された女性レニーへの手紙はパウリのお茶目さが感じられます。眼鏡をかけた自分の似顔絵を007という文字と重ねたいたずら書きなどとても楽しい人でもあったのではないでしょうか。

以前の友人が「あなたの詩はとても優しい」と評していたのも頷けます。

上の写真の笑顔からもパウリの人柄が伝わってきます。

芯は強いけど控えめで落ち着いた感じ、ユーモアのある知性です。

目立つタイプではなかったのかもしれません。だからこそ今まで大きく語られることがなかったのでしょう。

しかし今そうした人の話がとても必要に思えるのです。