ガエル記

散策

『詩人の恋』キム・ヤンヒ

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前情報なしに何となくタイトルに惹かれてwowow録画で観ました。なんと主人公がヤン・イクチュンだったとは。『息もできない』でめちゃ好きな顔だったのに最後まで気づかなかったのでした。しかしなぜか太ったこの顔も好みだったので根本的に私はイクチュンの顔が好きなようです。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

何とも甘く切ない恋物語でした。且つ実直でクラシックともいうべき筋立てですが非常によく練られた脚本でもあり素晴らしいと思えました。

 

芸術家が若者に恋をしてしまうこの物語の核はあの名作『ベニスに死す』であるのでしょう。

『ベニスに死す』は原作での主人公は作家で映画になって音楽家となりこの『詩人の恋』で再び文筆家になったわけです。とはいえ詩人ですから音韻が重要でもありやはり芸術家、という意味を重ねているのです。ドイツ人のトーマス・マンは小説家、イタリア人のヴィスコンティは音楽家、韓国人のキム・ヤンヒは詩人なのはどれもらしくて納得です。日本ならば漫画家かアニメーターでやってほしいところです。

 

すぐに『ベニスに死す』と重ねられてしまえないのはあの作品が豪奢な貴族的恋愛物語なのに対しこちらは底辺ともいうべき貧しき人々の物語だからでしょう。

しかし済州島を舞台にしているのはベニスを舞台にした海辺の町に似通っているではありませんか。

 

しかもアッシェンバッハは確か優れた音楽家でありながら演奏会で失敗し失望の中でベニスで休養をするのではなかったでしょうか。

本作の主人公である詩人テッキ(名前可愛い)も詩作が上手くいかない苦しみの中で容姿の良い少年に心惹かれていきます。

 

『ベニスに死す』が長く名作として位置付けられてきたのは同性愛に共感できない人々からも「この気持ちはわかる」という郷愁の念が表現された作品だからです。

アッシェンバッハの美少年への思慕は同性愛・少年愛というよりもかつての若々しかった自分への回顧でありその美しさがきらめいて見えるのです。

本作テッキも自分と同じように貧しく純真な少年にかつての自分を重ねているのがわかります。同情しているのはかつての自分になのです。

ただそれが妻との関係の行き詰まりへの嫌悪感さらに少年との出会いで芽生えた欲情と興奮が恋のようにも思え自分自身でわからなくなってしまうわけです。

これはアッシェンバッハにしても同じだったでしょう。

 

結局アッシェンバッハはその思いに耐え切れず死んでしまい、テッキは死と同じかもしれない日常に埋没していきます。

それでも生きていれば再び恋は巡ってくるかもしれません。

 

小太ったヤン・イクチュンが素晴らしく彼と気づかないまま好きになってしまいました。後で名前を見て「え、どこに出てた?」とまだ気づかぬ私にあきれます。

小太ったイクチュンにすっかりまいってしまいました。久しぶりに恋をしてしまいました。しかし顔はわからない。だって顔だけじゃなく全然ちがうじゃないか。俳優ってすごい。

 

「詩人というのは誰かの代わりに泣いてあげることだ」というテッキ。

最後の涙はあの時の自分のために泣いてあげたのではないでしょうか。少年の手を引いて逃げようとした自分にです。

 

テッキはその以前にも別の男を好きだった少女に恋をしていたと言います。テッキの恋心というのは詩人の恋心なのです。それは現実ではないのです。

同人仲間の女性がテッキを手厳しく批判します。「花の美しさだけを見ていて現実を観ていない」と。

 

『ベニスの死す』を下敷きにして結局同性愛がかなわなかった本作ですが私は物凄くこの作品に惹かれています。

テッキも妻のガンスンも恋の相手セユンも素晴らしかった。

本作の監督キム・ヤンヒは女性なのも後で知ったわけですが先日観た『はちどり』のキム・ボラ監督といい韓国の女性映画監督の進出ぶりに目をみはるばかりです。

『はちどり』もキム・ボラ監督が脚本も手掛けていましたが本作もキム・ヤンヒ監督の脚本となっています。

演出も見ごたえあるとても味わい深いものでした。

 

好きな女性映画監督がまたひとり増えました。(まだ少ない)