映画を観てからつらつらと考えていました。
市川準監督のプロフィールには聖パウロ学園という高校出身と書かれています。それを見てはっと本木雅弘演じる寺田ヒロオ氏のまっすぐ立った姿を思い出しました。
そして市川監督は寺田ヒロオさんに殉教者の姿を重ねたのではないかと思ったのです。
イエス・キリスト、は言いすぎでしょうか。
いわば子供向けマンガを描きたいという信念の殉教者、とは言ってもいいのかもしれません。
それはあまりにも孤独な戦いだったのではないでしょうか。
彼が愛し大切に守った後輩たち、石ノ森氏、藤子不二雄氏、赤塚氏は歴史に残る有名なマンガ家になりますが寺田氏自身は幾つかの作品は残したものの彼らほど名を遺すことはないでしょう。
本人も自分の思いが時代とまったく合わなくなっていくことに反発し苦悩しながらも自分の考えを変えることができないのを自覚し、そして自分自身を葬り去ることしかないと考えたのです。
それは実際の寺田氏の姿ではないのかもしれません。映画というのは監督の思いが映像化されたものです。
本作は市川監督がこうした人生を描き出したいという思いを寺田ヒロオという人物に乗せて物語としたのだと私は考えます。
なので実際の寺田氏と違っていたとしてもそれは構わないのです。
良いものを自分の好きな世界を描きたいという信念を持ち続け、そうでなければやめてしまう、しかし後輩たちの努力は見守ってあげたいという逸話を市川監督は美しい神話のように撮ったのです。
それは別の視点から見ればあまりにも潔癖すぎるのかもしれません。
私自身はトキワ荘にも寺田氏にも愛着を感じるわけではないのですが、市川準監督の思いを感じられる作品でした。