画像が示すとおり原題は『match』です。そしてそのタイトルが示す通りの素晴らしい内容だと思います。
『match』という言葉の意味は様々にあります。
火をつけるマッチをはじめ対決する・配偶者・ライバル・結婚・調和するなどなど。
たぶんこの一つの言葉に多くの意味を持たせていることは観ていけばすぐに理解できます。
しかし邦題は『コンフェッション』という一般的日本語としては理解しがたいカタカナ英語に変更されました。コンフェッションの意味がすぐに解る日本人はどのくらいいるのでしょうか。
一方「コンフェッション」となると「(罪、恥じていることの)告白・懺悔」の意味です。
この二つの言葉の違いは映画を観終われば思い知ることになります。
ネタバレしますのでご注意を。
この映画を若い時に観たら何と思ったでしょうか。それはもう解りがたいものです。
しかし年を取った者であればこの作品の重要さは感じ取れるはずだと私は思います。
現在の私自身は幸運にも家族と暮らしていますが一人で人生を送る人が多くなってきた昨今主人公に共感する度合いはさらに強いのではないでしょうか。
本主人公トビーは自分の人生を選択しそれほど裕福ではないけれどもまずまずの生活を得てきました。バレエダンサーとして活躍しその後は指導者として67歳の今も働く人生です。
しかし彼は22歳の時に性関係のあった女性グロリアが妊娠出産して「この子の父親になってほしい」と乞われた選択肢があったのでした。彼は華々しいバレエの道を捨てることができず、一方バレリーナだった彼女はその道を捨てて子供を育てた、という過去があったのでした。
そして今年老いた指導者であるトビーはある夫婦からバレエに関するインタビューの依頼を受けます。
対話が進むうちにインタビュアーの夫・マイクはいら立ちを募らせ「あんたは俺の母親を捨てた。あんたは俺の父親だったのになんの愛情も示さなかった」と爆発するのです。
実は彼こそがグロリアの産んだ息子だったのです。
戸惑いながらも反発するトビーを押さえつけマイクはトビーの口腔からDNAのサンプルを奪い取ります。
偽のインタビュアーを演じていた妻のリサはマイクの暴力を咎め検査のために飛び出した夫を追わずトビーに寄り添うのでした。
そしてここから実はリサも夫マイクとこじれた関係になっていることをトビーに打ち明けるのです。
この展開が素晴らしいと思いました。
リサは臆病になっていてトビーがバレエに誘っても「私は絶対に踊れない」と拒否します。
しかしトビーとの会話を交わすうちに勇気をもってバレエのポーズをとるのです。
その後戻ってきたマイクとトビーは父と子の会話を始めます。
トビーは最初からマイクのことを息子だと認識していて彼が25年前にフェンシングで優勝した新聞記事の切り抜きを大切に保管していたのでした。
それを見たマイクは父親の愛を初めて感じるのです。
「今更過去に戻ることはできないが孫を抱くことはできる」とトビーはふたりに告げます。
3人は絡まった糸をほぐし終えたかのように(これがセーターの編み物につながるのか)幸福感を覚えて翌朝の食事を約束するのでした。
そして翌朝DNAの検査結果が知らされます。
なんとマイクとトビーのDNAは「マッチしなかった」のです。(ここにもタイトル回収が)
つまり二人は親子ではなかった。
昨夜のあの激しいやり取りの後の愛はなんだったのか。
マイクたちに事実を告げられたトビーは震えるほど動揺します。
やっと息子を得た、家族の愛をつかんだ、と言う感動は全部なくなってしまったのです。
しかしその後、マイクとトビーそしてリサは再び温かい愛情を感じます。
例えDNAがマッチせずとも彼らは家族になりうるのです。
一晩だけの息子は去っていきますがその未来はもう壊れたままであることはないのでしょう。
そしてトビーは陽の光の中で友人に電話をします。
これまでトビーは友人の山小屋の誘いを面倒だからとずっと断り続けてきました。
しかしもうトビーは一人きりで人生を歩むのはできなくなったのです。
今ネットを眺めていても一人きりの生活を送りそのことを邪魔されたくない、ひとりきりでなぜ悪い?と言う言葉を目にします。
実は私自身もその側なので気持ちは凄くわかるのです。
トビー自身その気軽さに浸り続けてしまっていました。
他人との交わりは前の晩のような対決でもあるのです。
しかし対決があるからこその幸福もあります。
例えば子供を産み育てることは自分の人生の大半を犠牲にすることでもあります。
がそれゆえにそこから生まれてくる幸福は言い表せないほどに大きい。
その大きな幸福を得るためには自分の時間を失いもする。
等価交換という言葉では足りない大きな損失と大きな幸福。
それらを単純に数字に置き換えることは無理なのです。
それでも目の前の小さな幸福のために小さな犠牲も払えずに過ごしてしまう。
果たしてどちらがいいのか。
それは自分で決めるしかないのです。
そんなことを考えさせてくれる良い映画でした。
もともとは舞台劇だったものを映画化したものだそうです。