なんとはなしに選んだ『潜在光景』の中にあの『鬼畜』が入っているとは思ってもいませんでした。
映画は一応観たことはあるのでしょうか。自分の中であまりにも恐ろしく記憶を消しているのでは、とすら思っています。筋書きはもう解っているのにどうしても観ることができない、そんなホラー作品という認識でいます。
今回 Kindle Unlimited 登録して読書可能な松本清張作品を読みまくる(実際は自動音声で聞きまくる)とこの一冊をクリックしました。
以下ネタバレしますのでご注意を。
表題作「潜在光景」
主人公は結婚10年目だが子供はいないサラリーマン。ふとしたきっかけで再会した知人の女性といつしか不倫関係になってしまう。冴えない容貌の女性で保険の仕事に追われている彼女であったが妻にない魅力を主人公は感じてしまう。
怠惰な日常を送るしかなかった男に小さな喜びが生まれる。彼女は夫と死別しておりまだ幼い息子が一人いた。おとなしい男の子なのだが主人公にはなかなか馴染まない。
そして彼女が保険業務で遅い日に男はその小さな男の子の行動に自分への殺意を感じ始めるのだ。
不倫、子ども、殺意、恐怖といった題材から『鬼畜』との重なりを感じます。
とはいえ状況は『鬼畜』と逆になっています。
主人公の男は不倫相手の小さな息子から「殺されてしまうのではないか」という極端な恐怖を感じてしまうのですがその心理にも理由があったのだ、という巧妙な物語でした。
しかし男の子の描写がとても似ています。
おとなしく人に馴れない強情な様子。やせっぽちで頭だけが大きく不釣り合いに見え、目がぎょろりとしている。隠れて絵を描いているような男の子です。
これはもしかしたら清張氏自身の子供時代の描写ではないでしょうか。
読み進めて(聞き進めて)「鬼畜」が始まった時は飛び上がりました。
このまま読むべきなのだろうか。
映画とは違い映像があるわけではないのだから、と読み始めたのですが松本清張氏の描写力は映画以上だろうとしか思えません。
まじめで気の弱い男である主人公。
妻と共に印刷所を立ち上げ必死で働いてやっと軌道に乗りだした頃馴れない遊びで出会った女性と不倫関係となり彼女を囲い三人の子どもを作ってしまう。
妻とは子供を成し得なかった男はもう一つの家庭に幸福を見出す。
しかし火事で印刷所を失ったことから突然男は双方の家庭を支えきれなくなってしまう。
「約束が違う」と怒った女は三人の子を男夫婦の家に置き去りにして姿を消す。
レビューで「本当の鬼畜は子を捨てた女ではないか」「母親としておかしい」という文章がありましたがこの作品の主旨自体がそこではないと考えます。
「誰が一番の鬼畜か」という犯人捜しではないのです。それでいえば「容易な育児ができない社会が悪い政府が鬼畜」とまでなりますがここではそこの論争ではないでしょう。
女の存在はいわばなんであってもよくてもしかしたら「神様から授かった」でもいいのです。戦争や災害などの特殊な状況ならいきなり子どもを預かってしまうめぐりあわせもあるでしょう。
が、ここでは男が突然育児を任されてしまった時どう考えていくのかを描写しているのです。もちろんその主人公が「女」である場合もあるでしょう。ただこの設定で女が主人公は難しい。子どもは女が生むしかないので。
男は自分の気の弱さに逃げてしまいます。
不倫した罪の意識、というのも逃げ口上です。
「自分に似ていないから自分の子ではないに違いない」という逃げ道。
結局子どもたちは本当に男の子どもで男は実の子を見殺しにした、のかもしれないのです。
しかしそうでなかったとしてもやはり見殺しにしてはいけないに決まっています。
「誰が一番悪いのか」ではなく戦わなければならなかった。
そこを考えさせる作品なのではないでしょうか。
男自身きっと「逃げた女が悪い」「そそのかした妻が悪い」「自分はどうしようもなかった」と理由を考え続けたのでしょうが、考えるのは「どうやって育てるか」だったのです。
現実問題であれば逃げ道も考えますが、作品というのは主題を考えるものなのです。
そうでないなら作品を作る意味がない。
やはり恐ろしい作品でした。
子どもを殺すごとに気の弱い男とその妻は発情し激しく性交する、という描写の凄まじさはぞっとします。よくぞそこまで表現した、と思います。その描写こそが『鬼畜』なのです。