ガエル記

散策

『7月4日に生まれて』オリバー・ストーン

観てて当然という感じなのですが何故か気持ちが起きずに来て今回初鑑賞(忘れてしまっただけかもですが)です。

それでも最初の子どもたちの場面でもう何かの反感が起きて何度もやめてしまったという、何故こうも観たくないのか。奇妙な相性の無さがあります。

 

結果観て良かったと思いましたが好きな作品という記録はしなさそうです。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

この物凄い反感は映画を否定するものでもオリバー・ストーン監督を批判するものでもなくなんとなく映画の中で描かれる戦争への恐怖ではないかとは思っています。

実際映画で描かれた様々な出来事は思った通りに悲惨なものでした。驚くことは何もなく思った通りそのままに残酷でした。

描き方も正確で何の不満もなく笑いもあり映画として申し分ない作品だと思います。

実際アカデミー賞で監督賞と編集賞を受賞していますが私がもし選ぶとしても充分にふさわしいでしょう。

 

とはいえ鑑賞前の感覚は間違ったものではなかったとも思えます。

それはトム・クルーズが主演だからなのかかもしれないしよくわかりません。同じような負傷者で虚しさを感じさせてくれる帰還兵役がウィレム・デフォーだったのもーそのエピソードがとても面白かったにもかかわらずー共鳴できなかった原因かもしれません。

トムだったからこそ多くの人がこの映画を観るきっかけになっただろうし彼の努力と演技は良かったかもしれないけど私はトムだとどうしてもダメなのだと再確認した気がします。

ア・フュー・グッドメン』のトムなら許せるけど本作でトムなのは気持ちが入らない。それでも映画として正解だったとは思います。

 

本作は主人公ロン・コーヴィックの自伝として書かれたものの映画化でありストーン監督自身がベトナム戦争帰還兵でもありその後の薬に溺れる生活も自身を投影されているようで描かれる悲惨を否定のしょうもない。

 

 

問題になってしまうのは最後にロニーが間違って射殺してしまった同胞の家族に謝罪に行く場面でしょう。

この場面を「謝罪したいのじゃなく自分自身がほっとしたいからだろ」というレビューがありますがその通りで当たり前ではないですか。

主人公は敬虔なカソリックの家で育ち神の許しを必要としているけど途中で「この足のように神は死んだ」とわめきます。

同胞を撃ち殺してしまった呵責に耐え切れず家族に赦しを乞うた。

その妻は「私は許さないけど神はあなたを許すでしょう」という言葉はまさにロニーが求めていた言葉なのです。

その後の被害者の母親が「辛かったでしょう」という言葉はあまりにも優しい思いやりに満ちています。

この場面だけはこのクソのような映画の中で唯一の安らぎです。

それを偽善と呼びたいなら呼ぶがいい。

神の赦しがないのなら人間は生きていけない。

 

愛国心を抱いて戦争に加担した主人公がそれが愛国心ではないと気づき生まれ変わるのを安直だという批判もあるようですが私はそこは問題を感じませんでした。

 

戦争はあまりにも愚かで間違っています。

それを知るために或いは再確認するためにこの映画を観れば絶望にうちひしがれることができます。

そんな映画は必要です。

まったく好きにはなれなくでも。