ガエル記

散策

『マルサの女2』伊丹十三

カルト集団が描かれているという話題を聞いて観たくなったのだが本作『マルサの女2』はかなり観るのが困難のようです。廃版扱いになっているところも多くやっとDISCASでレンタルされているのを見つけて借りました。

そして観てみたところ、これは以前観ていましたw

考えてみれば伊丹十三作品なので観ていないわけもなかったのですがすっかり忘れていました。というよりたぶん観た当時は内容がさっぱりわからなかったに違いありません。なので記憶に残らなかったのです。

 

私も長い年月の間に少しは知識やら経験やらが増えたので少しは理解できるようになりました。この作品を忘れてしまえるとは今となっては不思議ですが絶対当時の私ちんぷんかんぷんでしたねw

 

結果とてもおもしろかったです。

同時にこんな嫌な映画もありません。

醜悪。

こんなに醜い映画を観続けるなど耐えきれるわけがないのです。

若い私は醜い映画を観るのが辛かったに違いありません。しかし長い時を経てここまでグロテスクな映画を「おもしろい」と観れるようになったのは良いことなのか悲しいことなのか。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

トカゲのしっぽ切りと言われてチンピラ・ちび政が殺されます。

しかしそれをやらせた宗教人の男・鬼沢も命を狙われ亮子に「あんたもトカゲのしっぽだったようね」と言われます。その後、大臣が丁重に見送られる場面が挿入されますがこの大臣とてきっと「トカゲのしっぽ」なのでありその上が総理大臣だったとしてもやはり「トカゲのしっぽ」でありその上がいても・・・・と続くのです。ラストの亮子の表情がつらくもおかしい。命懸けで戦ってもそれは結局マッチポンプなのではありませんか。同じ国の中で国民が必死で働き税を納めその辛さに耐え切れず宗教に入って搾り取られることに喜びを見出す。その悲しい国民の血と汗で生まれた金を「上層部」という連中が奪い合う。

人間の愚かさがあまりにも虚しい。

 

主題だけでなく端の隅々まで見たくないもので敷き詰められている映画です。

ここまで気持ち悪い映画を作ってしまった伊丹十三監督。

どれほどヒロイン板倉亮子が浄化しようとしてもこの社会が掃き清められることはない。

鑑賞目的だった「カルト集団」についてはほぼ期待通り、という感じでした。

現在話題の「統一教会」にしても他のものにしても同じような感じで悩める人々を取り込み金を搾り取っているのではないでしょうか。

それはそれとして私は現代人は新しい宗教を求めていると思ってもいます。

要は異常な献金がない健全なカルトでありさえすればいいのです。

オタクたちが推しキャラを神として作品をお布施と称して買っているのはそれに近いと思っています。押しキャラがいない非オタたちこそがそうしたカルトにはまってしまいがちなのではとも思います。

これからはむしろカルトが増加していくのではないでしょうか。

きちんとした料金で参加できるカルトが増えることを期待します。アマゾンプライムやネットフリックスに入会するようなカルトというものがあればいいのです。合わなければ脱会し別のカルトに入るのです。そうした軽い宗教のほうが良い。

勿論異常な行為を誘発するものは取り締まられます。

宗教はどうしても過激になりがちなので恐ろしいのですが明るく穏やかな宗教を目指すことは悪いことではないはずです。