ガエル記

散策

『犬王』湯浅政明

楽しみました。

ずっと観たいと思っていたものを今年初めての映画鑑賞にできて嬉しい限りです。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

湯浅監督作品は一度パッと見てすぐに理解できるものではないと思っていますが本作は最近観ていた他作品とのつながりも感じてなるほどと思えるものでした。

 

やはり最近のドラマの核はどうしても「親の因果が子に報い」にあると思えます。

「身勝手な親の行動によって子どもが苦しむ」という題材はこれまでどれほど描かれてきたでしょうか。

かつてその親を呼ぶ呼称がなかったのが最近は「毒親」という言葉で人々に理解され始めました。

犬王の父親はまさに毒親です。いえば母親もその父から逃れていなかったという失敗をしているとも言えます。

そのために犬王は「異形」という宿命を背負わされ自分の行いによって少しずつその宿命(ここでは「呪」と呼ばれる)をはぎ取っていきます。

一方の友魚は自らの行動で目を失ってしまった、とも言えますが父親の霊が彼を守ってもいます。ここが二人の違いです。

 

本作のふたりの主人公はいわゆる障碍者です。

ひとりは盲目で一人はあり得ないほど体形が歪みその顔は見られないほど醜いということで常に面で隠されているほどです。

友魚の盲目以上の重い苦しみを犬王は持ちながら犬王はいつも明るく前向きです。

 

やがて二人は出会い出会った途端に深い友情でつながります。

犬王の醜い顔は友魚には見えないのです。

 

琵琶を弾く友魚は友一という名前もありますが犬王と友達になってから「友有(ともあり)」と名乗るのです。

 

琵琶を弾き歌う友有と犬王の舞は民衆に愛されついに帝の前でのお披露目を依頼されるのです。

しかしふたりの楽曲と舞は帝が望む平家物語と違うことから再演することを禁じられてしまうのです。

琵琶法師の友有は「お前は友有ではなくもとの友魚に戻れ」という師兄の忠告を撥ねつけ捕らえられて死罪となります。

一方の犬王は帝の寵愛を受けることを選択しその後も活躍する道を歩みました。

 

別の人生を選んだふたりでしたが長い長い時を経て再び出会うのでした。

 

なにかがかなうたびに体が再現されるという設定が『どろろ』を思わせてしまう。

音楽がロックである。ダンスがバレエを模している、などの演出に反感を持ってしまった人はこの作品世界に入れなくなってしまうのは他の方のレビューを見て残念なことですが私はこの選択は間違ってはいないと思っています。

もしかしたらもっと時間が経つとしっくりするのかもしれません。

 

もちろん相性の問題という話なのなら私はとても楽しめました。

そして何度も観なおしてみたいと思っています。

 

逆にペア作品とも言えたテレビアニメ『平家物語』がどうしても私は受け入れ難かったのですが本作を観てやっと少しその意味合いが解った気もします。

本作品が非常に男性的なものだったのであの作品では女性のつながりが描かれてどちらも現在に通じていたのですね。

私は湯浅作品は共感しやすいのですが山田尚子作品との共通点が少ないようです。

琵琶法師が主人公としているのも同じなのですが。

 

相変わらず湯浅監督作品は賛否が激しく分かれるのですがむしろ現在は激しく分かれる作品のほうが良いのです。

 

アヴちゃんと森山未來は期待したとおりそれ以上に良かった。

アニメ史に残る作品です。