想像した以上に面白く楽しいひとときでありました。
とりあえずネタバレしますのでご注意を。
横山『三国志』大きく3つの物語から成っていると思えます。(三国志だけに)
諸葛亮登場するまでの劉備・関羽・張飛によるチンピラ流れ者たちの荒くれた第一幕と三顧の礼で劉備が諸葛亮という稀代の軍師を得、知略をもって戦う第二幕と劉備・関羽・張飛と言ういわば主人公を亡失した後諸葛亮が孤軍奮闘するもすべてを失っていく第三幕です。
第一幕は劉備・関羽・張飛の行動は正義のため大義のためとはいいつつもどう見ても田舎のヤンキーが「このままじゃつまんねえなにかおもしれえことしてえな」的な感じで突っ走るもどこに行っても馬鹿にされながらしかし時流もあってのし上がっていく。この流れに魏の曹操も同じく乗っていく。彼の場合は劉備たちとは違うお坊ちゃま系列なのも対比として面白い。
このあたり横山光輝『あばれ天童』で同じように描かれていると思えます。劉備=天童、張飛=石倉、曹操=柚木というわけですね。
第一幕は劉備たちの苦難でもありますが後で見返すと曹操も含め皆若々しくて懐かしい気持ちになってしまいました(自分的には数日ですが)彼らの青春の日々であり最も生き生きと輝いていた日々でもあるのです。
第二幕で孔明が登場し劉備たち蜀の配下に入ると一気に物語が引き締まっていきます。
それまで考えてはいたけどいきあたりばったり的な劉備たちにコンピューターが導入されるのです。
劉備たちはすでに4、50代になっており若さと力任せで行ける時期ではない。ここで「なんだあんな若造に頭を下げなきゃいけねえんだ」と愚図る張飛を諫めて孔明をブレインにした劉備は本当マジで偉かった。もしかしたら曹操につくことだってあったかもしれないのだから。とはいえ物語としてはのんびり田舎暮らしをしたかった諸葛亮が劉備の誠実さと男気にほだされて配下となりその能力をぶん回すことになっていきます。張飛のいうままになっていても曹操の部下にはならなかったかもとは思いたい。
一旦配下となった諸葛亮の仕事ぶりが凄まじいです。いますねこういう嫌がってるけど始めたら猛烈に頑張る人。
結局劉備は諸葛亮によって王座につきます。てかこの人物凄く仁義にこだわるのでなかなか王座につかなかった。諸葛亮の巧妙な話術がなければ王様にならなかったかもしれません。
こうして劉備は堂々と呉の孫権、魏の曹操と渡り合う蜀の王となり三国が戦うことになる。諸葛亮は劉備とともにこの三国をまとめて平定することを望んでいいく、という第二幕の終盤関羽・張飛そして劉備も戦いの中で死んでいく。呉虎代将軍たる趙雲・馬超・黄忠も次々と亡くなっていく。良きライバルでもあった曹操・孫権も死亡。三国志を彩った華やかな群雄が蝋燭の灯が吹き消されていくかのように消えていく。
こうして劉備の遺言を守るために諸葛亮は孤軍奮闘していくのが第三幕です。
この第三幕はあまりに辛い。諸葛亮には頼れる人がいなかった。
期待していた馬謖を切り捨ててしまったのもあるがそれ以上に第二幕にいた輝かしい将軍たちをすべて失ったのだ。
五虎代将軍に匹敵するのは姜維だけだった。不遜な態度で反抗してばかりいる魏延さえ処罰できないほど人材に困窮していた。
諸葛亮の苦難を極めた戦いが続く。蛮人ともいうべき南の諸国での過酷な戦いで諸葛亮は体力を失ったのではないだろうか。
そして北伐はかなわかった。
激務によって吐血した諸葛亮は天命を感じる。ここで姜維は諸葛亮を励まし「天に祈るはらい」を進言する。
だが結局処罰し得なかった魏延によってこの「諸葛亮の延命」は無に帰してしまうのだ。
この場面さらりと描いてあるのですが諸葛亮が「先帝、三顧の礼をもってお迎えくだされた御恩に報いようと孔明全知全能を使って今まで働いてまいりましたが」という言葉で涙がこみあげてきました。
その苦難は劉備以上のものではなかったのだろうか、と私は思います。
ま、同時に優秀な頭脳を駆使する楽しさもあったのだろうな、とも思いますがw
それも含め自分を引き入れてくれた先帝に感謝したのだろうと思わずにはいられません。
その感動と同時にでは横山光輝氏が描きたかったのはなにか、というのも考えます。
横山『三国志』は新しい晋の時代までではなく「蜀の滅亡」で終わりを告げます。
それはやはり第二次世界大戦で大日本帝国が滅亡したことと重なります。
男たちは戦いに敗れ男ではなくなってしまった。
「今までの(安楽な)生活ができるなら蜀(=日本)が無くなってもかまわないや」
と劉禅は戦争より平和を望みました。
これに対する横山光輝氏の感想は劉禅の息子一家の苛烈な心中が物語っています。なぜならモノローグで「ただ一つの救いは一皇子の憤死がこの屈辱をわずかに晴らしてくれたことである」と記されているからです。
確かに私は横山『三国志』を楽しく読み男たちの生きざまに感慨を覚えました。
しかし私自身は劉禅の選択を決して悪いものと思えないのはやはり戦後教育の洗脳なのでしょうか。
むしろ劉禅息子一家心中こそが「無意味」とすら思えるのです。
この差異を知ることこそ『三国志』を読んだ甲斐があったとも言えます。
私を含む戦後の人間は誇りよりも生きることに価値を見出しますが横山氏は誇りこそが人間の価値だと思っていたのではないでしょうか。
『三国志』を読んで感動するのはそこであるはずです。しかし同時に私は劉禅なのだと思ってしまうのです。