改めて第一巻から読みなおしています。
冒頭がとても良い。そのまま頭の中で映画として再現してしまいます。
千八百年ほどの昔。黄河のほとりでまだ何者でもない若者が膝を抱えて座っている。このポーズは横山マンガでよく見る。考え事をしている姿で『バビル2世』でもバビル一世が地球に流れ着き思案した姿と同じである。
親切な人々が幾人か若者に問いかけてくるが若者は静かな笑顔で返すばかりだ。しかしついに役人に見とがめられて若者は「母に飲ませたい茶を買いたくて洛陽船を待っているのです」と答える。
今よくあるコンテンツでは最初から読者を引き付けたいとして騒々しい導入部を持ってくることが頻繁にあります。最初からバトルがあり無残な殺戮が見せられたりするものですがこんなに静かでのんびりのどかな入り方に却って驚きました。
勿論この後には果てしなく苦難に満ちた戦いの道が続くのです。この静かな導入部こそふさわしいのかもしれません。
若者の名は劉備玄徳。
彼は出会う人たち皆に一目置かれてしまう不思議な魅力を持っていた。
そしてここで彼は生涯の友であり義兄弟の契りを結ぶ張飛と出会う。
横山著『あばれ天童』は『三国志』の男気をそのまま「学園もの」にしていますが天童が劉備で石倉が張飛だというのは明白です。
石倉は天童に張飛は劉備に強い男気を感じ信頼する。その関係性は現在ではほぼ描かれなくなったものですがそうしたつながりを求めたい人は横山光輝作品にたどり着いてしまうのかもしれません。
ところで横山作品は男性描写が多く女性登場がきわめて少ないのですが女性の描き方が私はとても好きです。さっぱりとして気品がある。男と女を分け隔てなく描かれていると感じます。ただ横山氏は男の世界があまりにも好きなのです。
さて張飛は初会合とは違った風貌で再登場します。
額には孫悟空の緊箍児を思わせる輪っかをはめ顔に大きな傷をつけられてしまいました。思うにたぶんその後登場する関羽との見分けをわかりやすくするためではないでしょうか。
髭の薄い劉備と違い関羽・張飛はふたりとも髭を印象付けられていますから髭無しのキャラにはできないししかし髭を描くと見分けがつきにくいので張飛に輪っかと傷をくっつけた。他の張飛絵を見ると髭がもっとぴんぴんに描いてあることが多いのですが横山氏それが嫌いだったのだろうとしか思えませんw
今では張飛と言えば横山キャラがすぐ出てくるようになってしまったのではないでしょうか。
私自身『三国志』の中でも張飛が大好きです。むしろ張飛が主人公といってもいいくらいです。兄貴を慕い続け信じ続けでも酒好きで失敗して腕力だけが頼りと言うこの男、良いなあとしみじみ思います。
ほんとうにこのキャラは今はもう出せない。横山作品を読むしかないですね。
ところで関羽ももちろん好きです。
一巻を読んでいて関羽がもともと塾の先生だと知りました。物凄い豪傑で優しい塾の先生、萌え要素ありすぎです。
曹操もお目が高い。
こうして劉備・関羽・張飛三人が出会い、お母さまの計らいで(知らなかった)桃園にて酒席を設け固い契りを誓い合うことになります。
若々しい三人の姿。
青春の旅立ちです。