ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第四十二巻 その2ー曹操発病ー

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

関羽の恐怖から解放された曹操は洛陽に凱旋しのんびりと暇を楽しんでいた。

 

んんん?これはさすがにありうるのかと思ってしまう。もう少し華やぎというかなくていいものか。魏王、質素倹約だのう。

 

曹操は毎日のように頭痛とめまいに襲われていた。

呂蒙関羽に呪われ後を追うように死んでいったという話も曹操を気弱にした。が、側仕えはその話を否定し「居は気を変える」と申しますので新殿を建設したらどうかと提案する。

曹操はこれに同意し洛陽の蘇越という名工に設計させた。設計図を気に入った曹操だがその本殿に大きな棟木が必要と見て問うととある神木があるというのだった。

ところが人夫たちは祟りを恐れて巨木に手を出すのを嫌がった。

曹操はその迷信を追い払ってやると立ち上がったのだった。

 

躍竜譚に到着した曹操は見事な神木に「最初の刀は余が入れる。もし木の精が祟るならこの曹操に祟るだろう」と言って刀で一撃を入れた。

そこからは血のような樹液がほとばしった。曹操は「安心して切るがよい」と立ち去った。

が帰途で曹操は苦しみだしたのだ。

熱が上がり容体は日ましに悪くなった。人々は神木の祟りだと噂し合った。

 

侍医は名医華佗の診察を勧めた。華佗は重病人も麻肺湯を用いて腹を開き臓腑を薬で洗ってたちまち傷口を縫い合わせてしまうという。

 

曹操を診察した華佗は脳に病巣があると見た。

その治療法は一つ!麻肺湯を飲み死せるごとき状態にしておき脳袋を切り開き病巣を切り除くのだ。

それで治るかとの問いに華佗は「十中八九」と答えると曹操は上手くいかなかったら?「その時は命数とあきらめてください」

この答えに曹操は怒る。華佗はかつて関羽の腐りかけの腕を切り開き全治させた経験を話すが

これは疑心暗鬼というものですな。

関羽というだけで曹操は過敏になっていたのだろう。

しかしこうして曹操は命を縮めてしまうことになった。

もしこの手術を受けていたら、とまた考えてしまう。

 

その後華佗は獄に放り込まれて斬殺されてしまう。天下の名医が口の禍で自分を死に追い込んでしまったような気もする。

この時獄中の華佗の世話をした牢番が呉の生まれでかつてから華佗を尊敬していた者だった。華佗はお礼にと家に置いている秘伝の医書を彼に譲ると約束しその旨の手紙を書いて家人に渡すようにと牢番に言い含めていたのだ。

牢番は斬殺されてしまった華佗を丁重に葬り約束の医書をもらって帰宅した。

牢番の妻はそれを見て驚く。牢番をやめてきたのだという。

なぜと問う妻に牢番だった男は華佗先生からもらった医書を見せ「これからはお前も名医の妻だ」と酒を飲んだ。

翌朝その男は目を覚まし妻が華佗医書を燃やしているのを見る。驚く夫に妻は「これを読んであなたがどんなすばらしい名医になってもこのことで捕らわれ牢獄に入れられたらそれまででございましょう」と答えたのだ。

「私は禍の書を焼き捨てたのです。私は夫を獄中で死なすを妻として見てるわけにはいきません」

男は何も言えなくなった。こうして天下の名医華佗医書は灰となったのである。

 

十二月曹操のもとに呉の孫権からお見舞いの使者が訪れた。

孫権からの手紙には「臣孫権」と記されていた。さらに曹操に対し帝位につくことをすすめてきたのである。つまり曹操に謀反を起こせというのである。

しかし曹操は「わしは漢に仕えて三十余年爵位は人臣を極めたこの上なにも望みはない」と言うのだった。

側仕えは曹操に「孫権が臣を唱えて魏の下風に屈して参ったのですから恩賞を与えて天下に知らせておく方が良策かと」と進言する。

曹操は「孫権荊州の牧に命ずると世間に発表せよ」とした。

呉の使者が引き返したころから曹操の容態は悪化した。

側仕えは天下の道士を集めてご祈祷を勧めたが曹操はこれを断った。

「それよりも世継ぎを決めねばならない。長男の曹丕と決める。余に仕える如く曹丕に仕え国を滅ぼさぬよう努力してくれ」

曹操は息を引き取った。

この表現からも横山光輝氏は曹操びいきであるのがわかる。

そもそも横山三国志劉備玄徳の逸話より曹操物語のほうが多すぎるw

それだけ曹操の面白い逸話が多いのかもしれないけどやはりそれを描きたくなるのは好きだからこそだろう。

そして関羽の存在も曹操がいたからこそでもある。

曹操関羽を褒めたたえるたびに「それほど凄いのか」と思わされたのではないか。

玄徳一筋の関羽を引き留める話去っていく関羽を見送る話まで関羽のすばらしさを表現するものになっていた。

曹操なくしては関羽の良さは半減していたのでは。

さらにあの時曹操でなければ関羽自身が殺されていたかもしれないのだから。

むろん玄徳の良さも曹操あってのものだ。

玄徳を主人公とした三国志演義曹操を悪役にすることで稀代の名作になったのだろう。つまり孫権だけでは役不足だったはず。

さらにその上横山先生はあまり見た目が良くなかったとされているはずの曹操を最大美化してくださったw

曹操のかっこよさはもうかけがえのないものになってしまったのだ。他は考えられない。

 

曹操の死後長男曹丕を跡継ぎとしたものの兄弟争いが物語られる。

曹丕は魏王の位につき天下にこれを発表した。が、次男曹彰が十万の軍勢を引き連れ魏王宮へと向かってきた。

これを案じた曹丕に賈逵が曹彰の本心を問いただすと進言する。

果たして曹彰には王位を争う気はなく父の喪に服するために来たと答えた。

そして十万の兵をそのまま曹丕に引き渡し自分はわずかの友を引き連れ帰っていったのだ。

四男曹熊は病弱で父の喪にも兄の祝辞にも行けなかった。そのため嫌疑をかけられた罪に怖れを感じ自害したのだ。

 

が三男曹植の対応は違っていた。側近の者は曹植を持ち上げ曹丕より優れていると信じていたため曹丕からの使者に無礼だったことを告げられる。

曹丕は許褚に曹植をひっ捕らえて参れと命じた。

許褚~~~~生きとったんかわれェ~~

良かった心配したよお。

許褚は酔いどれた曹植を引き立て戻った。

曹丕曹植に死罪を申し付けまずは側近の首を打ち落とした。

そこへ駆け込んできたのが母親だった。

母は曹植の非礼を叱った後曹丕を呼びこのような悲しいことをしないでくれと伏して願い求めた。さすがに母にひれ伏されて曹丕は仕方なく「ちょっと懲らしめてやっただけです」と言い訳する。

母はほっと安心した。

が家臣は曹植の才知を案じて処刑を勧める。母との約束を違えるわけにはいかないという曹丕に家臣は曹植に詩を作らせ試験することを提案したのだった。

曹操も詩作が好きだったため詩才のある三男曹植は特に愛されていた。が、曹丕曹植の詩は代筆だろうと疑っていたのだ。

「七歩歩むあいだに詩を一首吟じてみよ。できなければ即座に死罪である」題は側に会った絵画から「二頭の牛の格闘」となった。

七歩歩むあいだに曹植は見事な詩を吟じた。これに曹丕は確かに見事じゃが少しゆっくり歩いたようにも見える。

「そうじゃ、わしが題を出したらすぐ一首吟じよ」

今度の題は「兄弟」となった。


煮豆燃豆萁
豆在釜中泣
本是同根生
相煎何太急

豆を煮るために豆がらを燃やす、
豆は釜の中で泣いているような音を立てる。
もともと一つの根から生じたものなのに、
どうしてこんなに酷くいたぶるのですか。

 

これに曹丕も思わず胸を詰まらせた。

母上がこれに声をかけた。なぜこのように弟をいたぶるのじゃと。

曹丕は国法を守るためと答える。

しかしこれで装飾が代作で先王をたぶらかしていたのではないとわかりました。私も王として約束は守ります。

 

曹丕曹植爵位を下げることで許した。

曹植はその日のうちに魏王宮から去っていった。

 

蜀では玄徳が曹操の死を聞き天命を考えた。玄徳にはやることがあった。

重臣たちを集め関羽の無念をはらすため呉を征伐し、転じて奢れる魏を討とうと話す。

が、ここで廖化が「まずは味方の劉封孟達の二人のご処分が筋道」と進言する。ふたりが援軍を送らなかったために関羽は死に追いやられたのだ。

玄徳はこれに同意した。孔明はこれに対し「処分と察してふたりが叛乱を起こすかもしれません」と言い、まず二人を別々に引き離すことを勧めた。

玄徳はこれに納得した。

 

が、これを聞いていた重臣のひとりが孟達の身を案じ手紙を使者に託した。

その重臣孟達の親友だったのだ。

使者は城外へと向かったが孟達の命に係わる手紙と聞いて怯え挙動不審となってしまった。

危ぶむ門番の目の前を使者は恐れながら駆け出した。