ガイアーの表紙かっこいいではないですか。
ネタバレしますのでご注意を。
大地震を引き起こすシンとの戦いで虫の息になってしまったマーズ。
その頃自衛艦は噴火が収まってきた新島に上陸し捜索を始めようとしていた。だがその時またも奇妙な物体が海面に出現し自衛艦はこの世界から消滅した。
その様子を知ったのはマーズの部屋にいる岩倉記者だった。解読を続けた彼は現れたものがウラエウスだとわかる。
ウラエウスはマーズの部屋を破壊するために現れたのだ。
マーズの部屋には部屋を守るための破壊光線の仕組みがあり今まで溶岩で動かせずにいたものがウラエウスの攻撃で溶岩が飛ばされ作動し始める。
ウラエウスと部屋の攻防で部屋の壁が破壊され岩倉記者は脱出できた。だが海上には警備艦の姿はなく岩倉記者は再び打ちのめされる。
そこへ一機の偵察機が飛んできた。
すばらしい構図
だがマーズの部屋がそれを破壊してしまう。
岩倉記者は絶望する。
がそこへ登場したのがガイアーだった。マーズを運んできたのだ。
すでに学習していた岩倉記者は腐りかけているマーズを人造細胞液に入れた。
するとマーズはみるみる元気を取り戻していったのだ。
そこへ偵察機と警備艦が続々と新島へ向かってきた。マーズの部屋からの攻撃を受け「六神体の仕業だ」と考えた彼らは島に向かって砲撃を開始した。部屋もまたこれに応戦していく。
岩倉記者はどうしようもなくマーズに助けを求めた。
マーズが目覚めた時岩倉記者は倒壊した機器の下敷きとなっていた。
マーズはすぐに応戦装置を止め岩倉記者を助けようとした。
が岩倉記者は「マーズ、六神体を全部やっつけるとガイアーは爆発を起こすぞ」と告げる。驚くマーズへさらに「地球人が計算以上に早く殺りく兵器を作り上げ六神体を壊してしまえばおまえが目覚めなくともガイアーが爆発するようになっているのだ」そう言って気絶した。
マーズは彼を背負い偵察機に助けを求めた。
しかしそこに現れたのはウラエウスだった。
ウラエウス。いったいなんなのか。ものすごく不気味。どういうことなのこれ。
こんなのを出して脅かし
横顔はこんな風。
ううむ。これはきっと「コブラ」ではないんだろうか。
コブラは神と恐れられているという。と思って検索したらそもそもウラエウスがエジプトの蛇神だった。なんだいせっかく考えたのにw
しかしコブラからこのデザインが生まれるというのがすごい。
マーズはガイアーを呼び自分たちを守らせた。ガイアーのバリアーに守られてしまえばウラエウスの攻撃を怖れることはないのだ。
これを見た自衛艦はマーズを守ろうとウラエウスに攻撃を始めてしまう。
ウラエウスは自衛艦を消滅させマーズは無力感を感じる。
ウラエウスはラーの助言を受けてまずマーズの部屋を破壊してしまうことにした。
この構図かっこいい。
ガイアーはマーズたちを日本に向かった。
岩倉記者は病院へ運ばれマーズは自衛隊に状況説明をした。
岩倉記者から聞いた通り六神体の残りの二体を倒せばガイアーが爆発すると伝える。
新しく防衛対策を考えねばならないと話し合った矢先岩倉記者が息を引き取ったという知らせが入る。
だが死ぬ前に重大なことを言い残したというのだ。自衛隊司令官は防衛庁長官に呼ばれ向かった。
長官はマーズが宇宙人ではなく人造人間であり命令遂行のためには死も恐れぬ、彼が正常に戻ればガイアーを爆発させるぞという危機感を話すのだった。
秋の島新島が破壊されたことがマーズに知らされ彼は司令官に連れられ「安全な場所」に幽閉されることとなる。
その後ガイアーの解体作業が始められたのだ。
しかしその間ウラエウスは東京の各所で暴れまわりマーズの出現を引き起こそうとしていた。
日本首相は問い詰められた。
「マーズをひきわたせば地球は滅ぶ、といって渡さなければ日本は廃墟となる。わしにそんなむつかしい問題が解けるわけがない」
隔離されているマーズは部屋に置かれたTVでニュースを見、現状を知る。ウラエウスが自分を求めているのだ。
マーズは司令官にウラエウスと戦いたいと訴え司令官は長官に長官は首相に指図を仰いだ。
その間にもウラエウスは日本を脅かし国民から「マーズを出せ」という声が高まっていった。
やむを得ずマーズに許可が下りる。
街では暴動が起きていた。
警備艦ゆきかぜはマーズを乗せて航行しはじめた。
司令官はウラエウスにそれを伝える。
ウラエウスは東京を離れゆきかぜを追った。
その報告を受けゆきかぜの乗組員は艦を降り離れた。
マーズは単独ゆきかぜを走らせウラエウスの姿を発見するや海へと逃れた。
マーズはガイアーに命令した。
「ウラエウスが艦を攻撃する時はバリアーが解かれている。そこを狙って光子弾を発射しろ」
命令は執行された。
ウラエウスはラーに後を任せた。
「マーズ、おまえは間違っているぞ。人間を信用するな」
ウラエウスは自爆した。
だがこの時、マーズの心のかたすみにこれでいいのかという疑問がかすかに起こっていた。
それはそうだろう。
本作はクラーク『幼年期の終わり』の別バージョンとして考えられたのだろうかとも思う。戦争ではない支配の物語に対してあえて暴力的な最終措置を取ってみたのかもしれない。
横山光輝主義としては戦うことで物語が進行するからだ。
しかし戦うことは結局虚しいことなのだ。
横山氏はマンガでそうした思考実験を行ったように思える。