「管鮑の交わり」と呼ばれる友情譚です。
ネタバレします。
紀元前667年以降の話である。(紀元前だよ!)
前667年、斉の桓公は周王より伯(覇者)を賜る。
この斉というのはあの太公望が周の軍師となりその功績によって与えられた国である。
横山光輝『殷周伝説』の最後、太公望呂尚が武吉を連れてふらりと旅立ったのが斉だった。太公望は「斉は海に面していて塩を作ることや鉄を作ることを学ぶんだ」と言っていたのを覚えている。
いやあ太公望に至っては紀元前1000年の話なんだから恐れ入る。
さてさて「管鮑の交わり」に行こう。
管仲と鮑叔は幼い時から大の仲良しだったのだが成人してからそれぞれ敵対する人物に仕えることになる。
斉では謀反が起こる。暴君・襄公が親族の公孫無知に殺されその公孫無知も暗殺されて後継者は糾か小白のどちらを新君とするかで分かれたのだ。
管仲は糾の後見者であり鮑叔は小白の後見者だった。
それぞれはそれぞれの主君のために忠実に仕えていく。
なので管仲は糾のために小白暗殺を企てる。管仲は潜み通りかかった糾に矢を射るが
すっごい!アメリカ映画のようだ。(その場合は銃ですが)
小白は死んだふりをして鮑叔と共に通り過ぎ安心しきった糾より先に素早く君主となってしまう。
やむなく糾と管仲は魯へと逃げのびたのだった。
君主となった小白は鮑叔に対して「今もなお糾の謀反が心配である。そこで糾が逃げ込んでいる魯を攻め糾と管仲を殺そう」と問いかける。
鮑叔は糾を殺すことには同意だが管仲は得難い人物、殺してはなりませぬと答える。
小白は二人が仲が良かったと聞いていたが管仲の悪い噂も耳にしていた。
鮑叔、凄く良い人だ。
この後も「管仲は幾度か仕官したがそのたびにお払い箱になったそうじゃな」といわれ「それは管仲が時節に恵まれなかっただけで無能だったわけではありませぬ」と答えさらに「我が君が天下の覇者たらんと望まれるなら管仲以外に適任者はおりませぬ」と言ったのである。
小白は鮑叔の進言を取り入れたのだ。
後に管仲は言う。
「我を生める者は父母なるも我を知る者は鮑叔なり」
桓公(小白)・鮑叔は魯を攻め追い込む。そして糾を討ち管仲を返すことを求めたのだ。
戻ってきた管仲を鮑叔は歓待し桓公(小白)は管仲の進言を聞いて彼を宰相にしたのだった。
鮑叔はこれを喜び常に管仲の下の地位について補佐した。
管仲もまたその才能をいかんなく発揮し始めたのだった。
物凄く良い話なのだけどそもそも管仲、小白を殺そうとしたのにそれは帳消しなのか。
まあ矢を射られたので誰か気づかなかったのか。いやあり得ん。
小白の肝っ玉に感心だ。
とにかく鮑叔さんが良い人ってことなんだよな。
しかしそれはすべて管仲の助言のおかげ(それを受け入れたのは偉いけど)であることが管仲の死によって証明されてしまう。
管仲の死後、桓公はおべっか使いの三人を側近としたために国は荒れ果てていくのである。
が、幸か不幸か管仲の死後、桓公は後を追うように死んだため国の没落はほとんど目にしなかっただろう。
桓公の死後、五人の子供たちは世継ぎ争いを繰り広げる。桓公の遺体は放置され腐乱し蛆が湧き這いまわっていたのだ。栄光の道を歩んだ者の末路としてはあまりにも惨めだった。
終わり。
鮑叔の話が途切れたままだったー。
鮑叔さん、どうなったのか。
たぶん最期まで管仲大好きだったのだと思いたい。
管仲も最期まで立派な宰相として終えた。きっと管鮑仲良しだったと思いたい。
そして管仲が生きてる間は立派な王だった小白の遺体は惨めだったけど管仲を追いかけるようにして亡くなったというので大体良い人生だったのではあるまいか。
それもこれも鮑叔さんが良い人だったからとそれを聞く耳があったからなのだろう。
大国となった斉はその後弱体していくのだがそれはそれで仕方ないことなのである。