読み返したいなあと思いがつのりようやくもろもろ一段落したので再読します。
ほくほく。
ネタバレします。
私は今思い返すと「司馬遷は宦官だった」と記憶していたのか「去勢されていた」とだけ覚えていたのかもう定かではないのだが(なんという記憶喪失)とにかくその経緯を何も知らずに来てしまっていたので本作を読んで「こういうことだったのか」と驚いてしまった。
友人の李陵を弁護して武帝の怒りを買い獄に入れられ鞭打たれた後死刑と決まる。
死罪を免れるには大金を支払うか宮刑(男性器を切り落とされる)かを選ばねばならない。が、裕福ではない司馬遷は金の工面はできない。
宮刑の苦痛と恐怖は言うまでもないが自尊心を踏みにじられその後も尿を垂れ流しながら生きねばならないという屈辱もあった。
しかし司馬遷には故き父からの遺言があった。
「歴史の記録を残したかったが自分だけでは完成できなかった。息子のおまえが完成させてくれることこそ最大の親孝行である」
生前の父に「必ずや完成してみせまする」と約束した司馬遷にとってここで死んでしまうことは親不孝そのものだった。儒学にとってそれはならないことだったのだ。
司馬遷は屈辱に耐え生き延び父の意志を継いで歴史書を完成させる。
それが『史記』なのである。
これまで私は『史記』には手を伸ばそうともしてこなかった。覗き込んでもなにやら難しい文章が並んでていてとても読める気がしなかったし読んでも共感できる気もしなかった。
それが横山光輝氏のマンガで生きていた人物として感じさせてもらえたのだ。
せめて本作だけでもなぜもっと早く読まなかったのだと悔しがっていてもしょうがない。
これから何度でも読み返していこうと思う。
特にこの最初の作品。司馬遷自身の物語は胸を打つ。
私は女性なので直に宮刑の恐ろしさを実感するのはできないが四十八歳という年齢で(若ければもっと惨いだろうが)男性としての尊厳と機能を失う悔しさと苦痛・恐怖を想像するのも震え上がる。
それほど「孝」が重かったのもあるだろうが司馬遷自身も歴史書編纂に取り掛かって完成させたい欲望もあったのではないだろうか。
友人を弁護したためだけで死罪を命じられてしまった司馬遷の人生はあまりにも融通の利かない真面目一徹と思える。
その父・司馬談にしても農業をなりわいにしながら歴史書を書き続け、仕官したらしたで不眠不休で仕事をしていわば過労死してしまうのだ。
優秀な子供だった司馬遷も二十二歳で郎中(侍従見習い)に任官できたのはいいもののそれから三十五歳までその最下位のまま出世できないでいる。たぶん要領よく付け届けやらおべんちゃらやらができなかったのだろう。
しかしその後どうにか大役を果たしてからあの父の遺言を受け約束する。
そのためもあって司馬遷は有力者に働きかけて太史公に任命されるのだ。
ここで司馬遷は新しい暦を作るという大事業を命じられる。
これが太初暦=陰暦として完成した紀元前104年から清王朝滅亡の1910年代までおよそ二千年の間使用され、日本アジア諸国でも使用された。
今でもその影響は旧盆旧正月節句などあちこちで見られるのは誰しも知るところである。
司馬遷はこの大事業を果たしてからついに歴史書作りに取り組むのである。
司馬遷の友人である李陵は武勲を立てたにもかかわらず武帝からの支援がないためついに匈奴に降るという事態に陥った。
武帝がこのことを司馬遷に問うた時、司馬遷は友人を思って「援軍がないためやむなく」と弁護したのだ。これを武帝は自分への不満と感じ怒り刑罰を与えたのである。
これまでもだがこの時、司馬遷が上手く武帝の言葉をかわしていたら、と悔やまれる。
なんとなれば武帝はこの時激怒したことを後に反省しているというのだ。その程度の怒りで優秀で立派な人物を死罪に追いやってしまうとは。
まあそれでも逃げ道があるだけまし、というべきなのか。
こういう経緯で司馬遷という歴史家が男性器を失ってなお生き延び親の遺言を全うした、その心意気に打たれてしまう。
横山氏はきわめて淡々とその経緯を描いていく。(よかった、タンタンで)
さてその司馬遷が残した歴史を再び読んでいこう。