ガエル記

散策

『三国志』再び 横山光輝 六十巻 完結

 

ネタバレします。

 

三国志英雄たちがいなくなりここからわずかに姜維ひとりが魏と蜀両方を相手にもがき続ける煉獄のような状況となっていく。

 

もう事細かに記すことはせずに残りの時間を見て行こう。

楊儀は出世できずに不満を噴出し魏に走ろうかと口走ったために庶民に落とされ田舎へ追放されたことを恥じ自害して果てた。

 

魏帝曹叡孔明の死に安堵したのか贅沢な宮殿造りに懲り怨みの声が充満した。

司馬懿はこれを悲嘆したが重臣たちには意見して命を失くすなと説いた。しかし心中では魏の運命が尽きたと感じていた。

公孫淵が謀叛を起こしたが孔明と戦ってきた司馬懿にとって公孫淵の軍勢などは何の脅威でもなかった。

そして曹叡の急死。

まだ八歳の曹芳が即位。

後見人となった曹爽(曹真の子)は司馬懿を太傅(名誉職で実権がない)につかせ権力を我がものにした。

司馬懿は老いぼれを演じて曹爽を安心させた後世直しと称して曹爽一族を抹消した。

こうして司馬一族の時代が訪れたのである。

 

これに夏侯覇は不満を持つが司馬懿に勝てるはずもなく(部下の郭淮に敗れる)思索の末蜀の姜維の元へと走ったのだ。

 

こうして魏の知識を持つ夏侯覇を手に入れた姜維は魏との戦いを復活させた。

姜維は先帝と孔明が目指していた魏を討ち漢室復興を誓う。

姜維は羌人と手を組み魏を討つ目論見を持っていた。

さらに孔明から授かった連弩で攻撃を行い魏軍を苦しめる。

それでも姜維はあまりにも孤高でありすぎた。

 

そして孔明の最大の強敵だった司馬懿もまた世を去る。

歴史は司馬懿に勝利を与えている。

司馬懿の子である昭の子・司馬炎が魏に代わり新国家・晋を築くのだから。

 

蜀では蔣琬・費褘が亡くなり姜維ひとりが蜀の運命を担っていた。その姜維は再び北伐の兵を興したが一進一退を繰り返すだけであった。

成都では厭戦気分が高まり劉禅は日夜酒と女の生活を送っていた。

 

これを聞いた司馬昭は蜀討伐に鄧艾・鍾会を進撃させる。

姜維はすぐに蜀帝・劉禅に手紙を送り知らせたが宦官・黄皓が「それは姜維の作り事」として巫女に虚偽の占いをさせそれ以後の手紙も握りつぶしてしまう。

その間に魏の大軍は漢中へなだれ込み姜維の進軍もとどめてしまった。

 

軍を立て直した姜維から連弩を浴び窮した魏軍・鄧艾は陰平の断崖絶壁の要害もよじ登りついに成都に迫ったのである。

この報を受けた劉禅は怯えなんとか戦ではなく平和的な解決法はないのか、と思案する。

とある重臣の進言「魏に降伏することで領地を分けて大名にしてくれましょう」に「すると今まで通りに暮らせるのじゃな」と喜んだ。

そこに異を発したのが第五子の劉諶だった。

彼は姜維を呼び戻し戦うことを進言する。

しかしこれは父・劉禅によって強く退けられた。

劉諶は家族を道ずれにし自害して果てた。

横山氏は地の文によって「劉禅は降伏したがただ一つの救いは一皇子の憤死がこの屈辱をわずかに晴らしてくれたことである」と記している。

 

その後、まだ魏軍と戦い続けていた姜維劉禅皇帝の使者が訪れる。

勅命は成都がすでに魏に降伏したことを伝えた。そして姜維ら諸将に武器を捨て魏に降ることを命じたものだった。

姜維詔書を確かめた。

兵士たちは怒りで刀を叩き折った。

姜維もまた刀を折り泣き伏した。

 

ここに諸葛亮孔明の考えた「天下三分の計」は崩れ去る。

あとに聞こえてくるのは新しい王朝の足音であった。

 

完結。

 

 

すばらしい作品でした。

この最期の描写には人により評価が分かれるでしょう。

横山光輝氏はあきらかに劉禅を卑小な人物と描いていますが現在の多くの人は劉禅の選択が必ずしも愚かとは思わないのではないでしょうか。

そしてひとり屈辱を晴らしたとされた第五子が家族を道ずれに自害したことにはほとんどが反対するように感じます。

また戦いに明け暮れる英雄たちはほぼ毒親にも感じられます。

そういった考えがあり得ない時代だと思うしかないでしょう。

戦争ではない選択を私たちは考えなくてはならないのですが今もなお戦争が存在することに絶望もします。

結局いまもなお三国志の世界が続いています。

孔明が全知全能をかけても勝利はかなわなかった。

そして逃げ続けた司馬懿が歴史的には勝利した、とも言えます。

いや勝利などという言葉自体が虚しいのですが。

 

横山光輝作品がこれからどのように評価されていくのか、私自身はわかりませんが『三国志』をここまで緻密に描いたマンガ作品はこれからも生まれ得ないように思えます。

(AI作品が生まれる可能性はあるのでしょうが)

横山『三国志』はそういう意味でもいつまでも読み継がれるものでしょう。