ねたばれします。
魏延は怒っていた。葫蘆谷に司馬懿を追い詰めろと命じられその結果司馬懿もろとも焼き殺される計画だったことを魏延は見抜いていたのだ。
それが事実である以上孔明に正当な弁明はできなかった。
魏延に問い詰められた孔明は馬岱が手違いを犯したとして魏延の目の前で𠮟りつけ「階級をはぎ五十杖の刑」を与えた。
「魏延将軍、こういうことでござった。怒りは静められい」
夜分、打ち据えられた痛みと屈辱を受けそして階級を剥奪された馬岱に孔明の使者が訪れた。
孔明が「魏延を除こうとして失敗に終わった。が今、魏延将軍に叛かれては蜀軍が崩壊する。馬岱にこれも蜀のためと堪えてもらいたい。他日この功を第一としてこれを百倍にする叙勲をもって馬岱の恥をそそぐ」と約束したと告げる。
ここで魏延はなんと「一兵卒になった馬岱をそれがしの家来にしたい」と言い出す。
馬岱は孔明の苦悩を慮り「喜んで魏延の家来になりましょう」と答えた。
魏陣では郭淮が司馬懿に「蜀軍が五丈原に出るようすです」と伝えていた。
これを聞いて司馬懿は安心する。
もし孔明が武功に出て東進するようならうかうかしてはいられないが、西の五丈原なら今の守りで充分と考えられるのだ。
孔明からの贈り物と手紙を届けにきたのだ。
それは女の服と飾りだった。
手紙には「身をひそめ続ける司馬懿は婦女子ゆえに女服と飾りを贈る。もし男子の心あるなら決戦の日を答えよ」とあった。
が司馬懿は怒りを抑え孔明の使者に酒席を用意し労ったのである。
そして孔明の近況をたずねた。
使者は「孔明は朝早くから誰よりも遅くまで働き小さなことまで裁かれます」と答える。「仕事に追われ食事も満足にとれぬ日もあります」
司馬懿は感心した。
が、心の中では「それでは孔明の身体はいつまでも持たぬ。これはますます持久戦に持っていくべきだ」と考えていた。
戻ってきた使者に司馬懿とのやりとりを聞いた孔明は「司馬懿がわしの命数まで量っている」と感じ取った。
これを聞いていた側近は孔明に「小さなことは他人に任せもっと休息をとってください」と進言した。
孔明は天寿あるうちに先帝のご遺志を継ぎ陛下のご苦労を取り除きたいと思う心が焦りを誘うのじゃ、と言いながらもこれからは少し休息をとるようにしようと告げた。
しかし孔明が司馬懿に女服を贈ってきたことで諸将は怒りを収められずにいた。
一刻も早く出陣し恥をそそぎたいと言い出す。
司馬懿はやむなく魏帝に表文を送った。
諸将はやむなく戻っていった。
孔明が頼りにしていた呉が魏への攻撃をあっさりと取り止め引き揚げてしまったと報告したのだ。
この報告は孔明にとってショックだった。
「ならばまた作戦を立て直さねばならぬ」
その時孔明はうめき声をあげて倒れこんでしまったのだ。
周囲の者は驚き典医が呼ばれた。
過労だった。
休養が必要だった。
気分が良くなると孔明は散歩をしたいと外へ出た。
美しい夜空を見上げた。
「姜維。こよい天文を仰いでわしの命脈がつきたことを悟った」
驚く姜維に孔明は星を指さし己の寿命がつきようとしている証だと言う。
「これは天意なのだ」という孔明に姜維は「なにゆえはらいをなさらないのです」と答える。「古くからそういう時には星を祭り天に祈るはらいの法があると聞いてございます」
これを聞いた孔明は姜維に守護の者を頼み「七日間、北斗七星に祈ろう。燈明が消えねば我が寿命を十二年延ばせるであろう。燈明が消えたならばわしの死はまぬがれぬ」
一夜、二夜、三夜、
孔明は法にのっとり祈り続けた。
その夜魏陣にも激しい流星が見られた。
孔明の行はすでに六日目に入っていた。
そこへ魏延が駆け込んできたのである。
止めようとする護衛を押しのけ魏延は孔明が座る幕内に入り込み一大事と叫ぶ。
魏延の身体が燈明を倒した。
それを見た姜維は怒り刀を抜くが孔明はこれを止め「敵の奇襲を蹴散らして参れ」と魏延に命じた。魏延は出陣しあっという間に魏兵を蹴散らした。
姜維は孔明にひれ伏し「あと一夜というに残念でござります」と言い孔明は「もう何も申すな」と答え姜維を連れて外へ出自分の陣幕に入った。そしてそこで孔明自身が学び得たものを記した二十四篇を姜維に授けたのである。
そして次に馬岱を呼んで欲しいと頼む。
その間に孔明は先帝玄徳に謝罪した。
「三顧の礼をもってお迎えくだされた御恩に報いようと孔明全知全能を使って働いて参りましたが天意には逆らえませぬ」
さらに楊儀を呼び同じように魏延に対する行動を伝えると咳きこみ倒れたのだ。
数日後成都から勅使が到着し孔明は彼にも今後の指示をする。その直後口元から血が伝わり孔明は床へついた。
がしばらくすると楊儀を呼んで指示をし四輪車で陣中を回って皆にその姿を見せたのである。
孔明は死後も喪を発してはならぬと告げる。
そして魏軍が襲ってきたら孔明を模した木像を陣の前に押し出して追い払いゆるゆると退陣して帰国せよと説いた。
すべてを伝えた孔明は四輪車に乗って外へ出た。
夜空に煌々と輝いているのが孔明の宿星だという。今滅亡前の最後の輝きを見せている。
「見ていよ。今に落ちるであろう」
皆が星空を見つめているとすっと一つの星が流れ落ちた。
時に蜀の建興十二年。八月二十三日。寿命五十四歳。
漢朝の再興をはかり戦い続けた英雄たち。
その最後の巨星がついに落ちたのである。
姜維楊儀達は孔明の遺志に従い喪を伏せ後陣から静かに退かせ始めた。
が、司馬懿は巨星の落ちるのを見逃さなかったのだ。
司馬懿は孔明が死んだのなら蜀軍は怖れるに足りぬと間者を走らせた。
蜀軍先鋒・魏延は浮かぬ顔をしていた。
そこへやってきた趙直が問うのに答えた。「頭に角が生える夢を見たのだが気になってしかたないのだ」
これに趙直は笑って吉夢だと告げる。魏延は喜んだ。
しかしそれは魏延をなだめるための嘘だった。
角と言う字は刀を用いると書く。頭に刀を用いる時はその首が落ちるに決まっているのである。
さて費褘が魏延に孔明の死を伝えると魏延はすぐに軍権を取るのは誰かと問うてきた。
楊儀だと聞くと怒りだし自分しか蜀軍を動かせる者はいないと費褘に食って掛かる。
費褘は去りながら「丞相が亡くなったとたんにこれでは」と嘆いた。
これを聞いた楊儀はこれまでの魏延の活躍は孔明の作戦があったからこそだとわからないのかとして姜維に殿を命じ魏延抜きで退陣を始めた。
馬岱がこの様子を魏延に伝えるとさしもの魏延も自軍だけで魏と戦えるはずもなく慌てて本軍のあとを追いかけたのだ。
蜀軍の退陣を聞いた司馬懿は「やはり孔明は死んでいたのだ」と確信し追撃を命じた。
司馬懿は「蜀軍は遠くまでは退いておらぬ。急げ」と追いかける。
ところがその時、銅鑼が鳴り響き崖の上に四輪車に乗った孔明が魏軍を見下ろしていたのだ。
司馬懿は驚き「そこらじゅうに孔明の罠があるぞ」と叫んで逃げ出した。
そこへ殿の姜維軍がなだれこんだ。
司馬懿は悲鳴をあげながら逃げまくった。
そして夏侯覇たちが追いつき蜀軍が引いたことを告げると司馬懿は追撃を禁じ渭水の陣へと引き上げた。
そして翌日。昨日見た孔明は人形だったと聞く。
やはり孔明は死んでいたかと追撃を再開したが無駄なことだった。
そして孔明が残した布陣のあとを見やった。
みな法にかなった見事な布陣を見て「まさに天才」とつぶやいた。
「おそらくこの地上に再び孔明のごとき人物を見ることはあるまい」
退陣していく蜀軍は桟道が焼かれているのに気づく。
焼いたのは魏延軍だった。
そして魏延の謀反を蜀帝に奏上する。
魏延とその家来となった馬岱は蜀を手に入れてしまおうと算段する。
ふたりは漢中へと向かいすでに到着していた楊儀たちを呼ばわった。
魏延に「わしを殺せる者があるか」と三度叫ばせよ、というのである。
楊儀は指示通り魏延にこの言葉を伝え叫ぶことが出来たら漢中の城を明け渡すとした。
これを聞いた魏延は大笑し何万遍でも叫ぶと言っってのけた。
そして馬岱は魏延の首を討ったのであった。魏延は馬から倒れ落ちた。
馬岱はさらに魏延軍の兵士たちに「武器を捨てろ」と叫び楊儀の前にひれ伏して孔明の指示だったことを伝えたのである。
そして孔明の遺志通りにことを運んだ。
その墓を定軍山に北方に向けて建てるようと書かれた遺書を読む。
「孔明は死後も魏を睨みつけている気なのじゃ」
定軍山はかつて法正と黄忠が魏の夏侯淵から奪い取った要害である。
「北方を睨んで建てよ」
玄徳の遺志を果たせず無念の涙をのんだ気持ちの表れだった。