ネタバレします。
司馬懿との賭けを楽しみにしていた曹真だが結果は司馬懿の勝ち。
孔明は蜀軍を司馬懿のいる箕谷だけでなく曹真が陣取る斜谷にも気取られぬように近寄っており曹真はもう少しで捕獲される寸前で司馬懿軍に保護された。
だが曹真は矢傷を負って寝込むこととなる。
一方孔明は命令に背いた魏延・陳式への罪状について思い悩んでいた。
蜀はすでに良将が乏しくひとりの将を失うのも痛手となっていた。
ましてや魏延ほどの有能な猛将を失っては今後の北伐にとって損失でしかない。
とはいえ孔明は最愛の馬謖ですら軍律として処刑したのをここにきて甘くすれば各将が功に焦り勝手に動き出してしまうだろう。
孔明の出した答えは陳式のみを死刑とし魏延はその後の働きを認め忠告だけにするものだった。
孔明は曹真が寝込んでいると聞きよほどの重傷と判断し怒り狂うような手紙を出す。
その手紙を読んだ曹真は
曹真が気の毒でならない。
果たして一週間後曹真は憤死したのである。
この報を受けて曹叡は曹一族として激怒し司馬懿に「一日も早く孔明を討て」と命じた。
司馬懿は謹んでこの勅命を受けた。
そして孔明に決戦の手紙を送る。
明日は決戦の日となった。
時は秋八月。両軍は出陣した。孔明は渭水の岸まで進出。ここは一方は川一方は山に挟まれた広野でこの上ない戦場だった。
戦いの儀式に乗っ取り三百の太鼓が打ち鳴らされた。
まずは陣立てで争うこととなる。
司馬懿の陣立ては「混元一気の陣」
孔明が「この陣が破れるか」と問うと司馬懿は「敗れぬわけがなかろう」と答え総帥同士の知恵比べが始まる。
司馬懿は自信をもって「八卦の陣」を解き各将に攻撃を説いたが孔明のそれは独自の工夫がなされていたのだ。
三人の将は攻めても攻めても城壁が重なっているようで突き破ることができず蜀軍に包囲され捕獲された。
孔明は捕らえた三人の魏将を裸にして帰した。「もう少し兵書を読み、学問せよ」と司馬懿に伝えさせる。
この言葉に司馬懿は怒り自ら兵を率いて怒涛の如く蜀軍へと向かった。
司馬懿は孔明におびき寄せられたことに気づき引き揚げを命じる。
この会戦で司馬懿は七割近い兵を失うという大打撃をこうむった。
司馬懿は陣を守るだけで手いっぱいとなりいまや蜀軍の前に風前の灯だった。
もう北伐達成になりそうなこの事態。
孔明の前に司馬懿はまったく手が出ず、というここにきて思わぬところからほころびが生じてしまう。
それは苟安という兵糧部隊の責任者が酒に溺れて予定日を十日過ぎて到着したことで孔明の怒りを買い死刑になるところを楊儀の助言で八十杖の打ち据えの刑に減じられた。
だが苟安は感謝するどころかこの仕打ちを恨みに思いその夜魏軍に投降してしまったのだ。
司馬懿はこの男に「成都に帰って孔明が謀叛を企んでいると噂を流せ。それを聞いて劉禅が孔明を呼び戻すようであればそちの手柄を認めて大将としよう」と命じたのである。
この作戦は上手く運び孔明は蜀帝・劉禅から引き揚げの命令を受ける。
先ほどの戦いで大勝し長安まであと一歩、というところで孔明は成都に帰らなければならなくなったのである。
各将は「ここまできて」と無念を抱いたが「成都では孔明が謀叛を抱いているという噂が広まっている」と聞いては戻らざるを得なくなった。
しかしまた退陣は難しい。
孔明は兵を五つに分けそれぞれに道を変えて退かせる。そして退いていくほど竈の数を増やしていく、という策略をとった。
かつて孫臏は兵力を加えるたびに竈の数を減らして敵をあざむく計を用いたが孔明はその逆の計をとったのだ。
司馬懿が知識を持つがゆえにこの計略で思い悩むと孔明は考えたのである。
さてこの「苟安」は三国志演義のオリジナルキャラらしい。
となればこのエピソードはどこからどこまでどうなのか。
とはいえ快進撃の孔明をこのような裏技で止めてしまうとは売れてるマンガの引き延ばしみたいである。
とにかく司馬懿は裏技作戦の成功で追撃を開始する。
だがここでもまた孔明の竈作戦に捕まってしまう。
最初に見つけた竈の数の少なさに疑問を持つ司馬懿。
危ぶみながらも進むとまたもや竈の跡が。しかしその数は前よりも増えている。
さらに進むとまたも竈の跡。これが倍近くに増えていた。さらに進むと竈の数は万となっていた。
これを見て司馬懿は追撃を中止した。
司馬懿は竈の数から考えれば殿軍は数万に達しているとみたのだ。
これ以上追撃してまたもや決戦となるのは魏として危なくなる、と考えたのである。
孔明は一騎も失うことなく漢中への総引き揚げを行った。
成都に戻った孔明は蜀帝劉禅そして重臣たちと会合し先帝(玄徳)の目的・漢朝の復興という志を確認して漢中さらに祁山へと戻ると伝えた。
漢中で孔明は楊儀と会い兵士をふたつに分け三月代わりで休養させると決める。
そして孔明は半分の兵を率いて再び祁山へ向かった。
ここで孔明は隴西で収穫される麦を押さえようと考えていた。
黒衣に素足髪を振り乱した男たちを従えた孔明の前には鬼神の如き将と黒地に北斗七星の旗というなんとも恐ろしい一軍が登場する。
激しく風が吹きすさぶ中、司馬懿軍はこの怪しげな一行を追いかけるがいくら追いかけても追いつかないのだ。
孔明の一行はしずしずと逃げているのにどんなに全力で追いかけても追いつかない。
やむなく司馬懿が引き揚げようとするとまたも鬼神の一行が現れる。
そしてまたどんなに追いかけても無駄だった。
恐ろしくなった司馬懿はとにかく引き揚げようとするがまたも現れる鬼神一行に兵士たちは怯え震え上がる。
司馬懿軍はもう我先にと逃げ出したのである。
司馬懿はその後蜀の兵を捕まえこの事態が幻術ではなく孔明の仕掛けた罠だったと知る。
そこへ郭淮が登場し蜀軍が案外少数であると伝え夜襲を進言した。
蜀軍が潜む城も小さな田舎城。司馬懿は出陣した。
ところがむろん孔明はそれを待ち構えていた。
穂が実る麦畑に潜み魏軍を迎え撃つ。
圧倒的に蜀軍が優勢であった。
司馬懿は曹真が心労のあまり倒れたことに共感しながら逃げ出した。
郭淮は悔しさで雍・涼の兵を孫礼に率いさせた。
上邽は数十万の大軍で城外まで兵が溢れ出すありさまとなった。
孔明は司馬懿が蜀軍の退路を断つ計略を取ったと読み姜維と魏延に一万の兵で剣閣を守らせた。