初めての杉浦日向子作品読です。
今幕末から昭和初期までの歴史にはまっており本作に巡り合いました。
私はとりあえず生まれた場所的に官軍側の人間なのですが、だからといってこれまで大した幸運はなかったよなと思っていました。しかしよくよく考えれば歴史による何かしらはあるはずです。もし賊軍側の場所に生まれていれば何かと悔しい思いもしたのかもしれません。
本作はいわば賊軍となってしまう彰義隊の物語です。
本作を読んで何かを知りたいと思っています。
ネタバレします。
(壱)
旗本笠井家三百石小普請(非役)に養子としての恩義がある吉森柾之助が語る。
ある夜、養父が酒席で死んだ。
酔って抜刀したのを相席していた朋輩の柚木氏が素手で抑えつけたところはずみでその刀が養父の胸を貫いていたという。
誰もが酔って事の次第も明確でないまま養父の遺体は笠井家屋敷に運ばれた。
養母はその母と共に柾之助を呼び柚木氏を討てという。
突然の仇討の命令に驚く柾之助に苛立つ養母たちは自害しようとして見せた。
やむなく柾之助はこれを止めて仇討に行かねばならなくなる。
すべてが芝居じみていた。
養父の酒乱は今に始まったことではない。養父もまた入り婿であり子種の無き役職の無きを謗られ続けていたのだ。それを知る柾之助は仇討相手の柚木氏こそいい面の皮だと嘆息した。
従者の才助は若旦那を励ますように話しかける。そんな才助に柾之助は「屋敷に帰れや」と告げるのだ。
どうせ養母たちは俺が仇討ちに行くとは思っていない。柾之介が乱心の上出奔したとしてまたどこぞの養子でも入れるだろう。
才助の若旦那への心づくし、柾之助の運命へのあきらめが描かれる。
ふたりは鳥居の前の階段に腰掛け酒を酌み交わしながら夜が明けるのを待つ。
いわば吉森柾之助は笠井柾之助となりまた吉森柾之助に戻ったというべきだろう。
その日、慶応四年(明治元年)四月十一日、江戸開城。府内は官軍占領下となる。
将軍慶喜は退官し、水戸へ引退。旗本、大鳥圭介は旧幕臣を率いて江戸を去り、榎本武揚ら海軍は函館方面へ脱走す。
(弐)
ここで本作の主な登場人物である吉森柾之助と福原悌二郎、秋津極が顔を合わせることとなる。
秋津極は福原悌二郎の妹と許婚であったがそれを突然破棄して欲しいと願い出たのである。
悌二郎の兄主計はこの願いを受け入れたが悌二郎は妹の嘆きを前にして納得できない。雨の中去っていく秋津極を追いかけた。
言い合いとなる二人のまえに柾之助が現れる。
笠井家を追い出され行く当てもない吉森柾之助である。
雨宿りをしながら三人は話し合った。
悌二郎は極が髻を切り束ねているのを見て「女と心中するつもりなのか」と責めよった。
極は悌二郎を制し答えた。
「相方は徳川家だ。知ってのとおり俺は彰義隊に関わっている。入府してきた薩長軍にとって旧幕の輩が徒党を組んでいるのは気障りに違いない。いずれなんなと手を下すだろう。家を捨てるのは親族に咎が及ばぬためだ」
跡継ぎである極は弟に相続をさせようとしていた。
しかし悌二郎は「彰義隊は解散こそすれ上野に屯州すべき名目などもはやない」と納得しない。
しかし極は昨日決意したのだという。
江戸を立ち去る慶喜公は髭は伸び粗末な身なりでわずかの近習を伴い静かに出ていかれた。
その姿を見た我らは声をあげて泣いた。
我らはなんと大不覚の愚臣であったことか。主を守るべき時に守れなかったのだ。
「君辱めらるれば臣死す」
今こそ一身を呈して主の汚名をすすぐ以外に臣たる道はない。
極は雨の中を歩きだす。
ふたりはそれを追った。
秋津極が向かったのは「寫眞師」の店だった。
三人は衣装を整え記念写真を撮ったのである。
慶応四年四月十二日
杉浦日向子氏はこの作品を描くにあたり有名な英雄たちではなく自分自身の先祖だったらという基準を据えたと書かれている。
その思いにも共感する。