ガエル記

散策

『「坊っちゃん」の時代』第三部「啄木日録 かの蒼空に」 関川夏央・谷口ジロー 

読み込むのに時間と努力が必要だった前回の森鴎外編とは違い本編石川啄木は初読で入り込んでしまった。

 

ネタバレします。

 

貧乏なダメ男の話を読むほど辛いことがあるだろうか。

しかも才能はあり自尊心も高い。

が才能はあってもそれがすぐに認められることもなく金に換える力はない。もともと家柄もよく甘やかされて育っただけにそれなりの贅沢が当たり前になっているのだ。

しかもこのルックス。

谷口ジローキャラデザはいかつい男が多くそこが魅力だ。漱石も鴎外も必要以上にいかめしく描かれていたが啄木に至って実像以上に愛らしく描かれてしまうというのがおもしろいところ。

谷口氏本当に絵が上手い。こんな可愛い男も描けるのだ。

童顔というのがこんなに合う顔もないだろう。

谷口ジロー氏の手にかかるとこうだ。

髭を生やしているのが余計子供っぽいという。

冒頭で啄木はスリに狙われるが財布に二銭しか入っておらず逆に憐れまれてしまう。

 

啄木と言えば「働けど働けど猶我が暮らし楽にならざりじっと手を見る」という歌で有名でこれを読むと働きたくても金にならない仕事しかなく一日中労働してもわずかな給金しかもらえず貧苦の中で文学を志した、と思い込んでしまうが実際の啄木は東京朝日新聞の校正係という立派な職を得ていたにもかかわらず度重なる女郎屋通いや様々な浪費で困窮していくのである。

それは彼が田舎に残してきた家族や妻子を早く呼び寄せて面倒を見てあげなければならないという二十代前半にして過重な責任を負うためのストレスからくるものだったとしてもあまりにも愚かしい。

童顔の顔にいつも微笑を浮かべ借金をしまくりながらその胸の内は苦しいという啄木の姿を本編中ずっと観続けなければならない。

 

女を買っては金を借りその足でまたすぐ女を買いに行き食べなくてもいい贅沢な食事をしてあっという間に借りた金が少なくなる。

そのわずかな金を眺めて田舎の家族を呼び寄せねばならないのにその金では養えないと思っていると家賃はまだかと問われるが払えるわけもない。

会社に前借を重ね、友人の金田一京助に幾度も尻拭いをしてもらいどうしようもないと言いながらまた女を買いに行く。

顔はまるで子供のように愛らしい。

かつての芸術家のイメージそのものではあるがこうも丹念にその自堕落を読ませられるのは拷問絵を見ているかのように感じる。

読めもしない高価な洋書を買いガラスに映った自分の姿を見て秘かな優越を感じている。

 

現在は石川啄木をどう思うのだろう。

現在の感覚では啄木の浪費の女郎通いは悪癖としか言いようがない。

しかし啄木は言う。

「貧乏はぼくの病気です。この国の病気でもあります。しかしぼくはもうむかしの生意気な自称天才ではありませんから自分を必ずしも妥当に遇さない世間を恨む気はありません」

このことばはまさに今現在の多くの日本人の心であると思う。

「多少は恨みますけどね」

地獄を見ている気がする。