ガエル記

散策

『俺はだれ?』横山光輝

『俺はだれ?』プレイコミック1980年四月号掲載

表紙が横山光輝としては珍しい女性裸体なのでアップして凍結されたりしたら困るので途中のコマを上げておきます。

私的には『刎頸の友』のほうが刺激的ですけど。

 

講談社漫画文庫「白髪鬼」に収録

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

前にも書いたけど横山先生年表を見ると1978年あたりから作品数がぐっと少なくなっていくのがわかる。現代感覚で言えばそれまでが驚異の世界なのだが。

年表で推し量るしかないのだけど本作を描いた1980年がいわゆる「オリジナルマンガ作品」は最期の年になり1982年以降(年表を見るかぎり)作品は歴史もの一辺倒になっている。私としてはこれら歴史マンガ化作品も(というか「が」というか)大好きだし横山氏の歴史ものは『三国志』もあり氏の本領ですらある。

特に『徳川家康』と『史記』の面白さは他の追随を許さない名作なのだ。

 

という前提はあるとして1980年オリジナル最期の作品の一つが本作『俺はだれ?』なのだ。

深読み大好き人間としては「最期の作品(のひとつ)が『俺はだれ?』という意味深さ」に震えてしまう。内容はそれ以上だ。

冒頭の「自分を見失った人間を選んでいたずらする」という台詞もひっかかる。

そして年老いた男が登場する。豪邸でひとりぼっちで食事をしている途中で胃が痛みだし薬を飲み食事は中断する。

「年はとりたくないのう」とつぶやきながら自邸内を歩き物音に部屋のドアを開けると妻が男とSEXしている場面に出くわしてしまう。

年老いた男の妻は20代と思しき若さで美しい。相手の男も若く筋骨たくましい。

主人公の老男は激しく怒りそのあまり胸を抑えて苦しむ。心臓もまた弱っているらしい。またも薬を飲んで痛みを静めるがふたりを罵って出ていく。

財産目当てで結婚したらしい妻は「ここで離婚されたら遺産が手に入らない」と嘆き相手の男は「その前にあの爺さんが死んでくれればいいがな」と嘯いた。

 

本作執筆時横山先生は(計算すると)46歳。普通に考えればとても自分を老人にたとえる年齢ではないが(時期は知らないけど)糖尿病を患い心臓の手術をされたという記述を見るとこの老いた主人公と合致してしまう。

若い頃はスポーツマンであったと語られている横山先生としては中年期以降の衰えは他の人より大きく感じられたのではないだろうか。

 

『俺はだれ?』物語設定としては『ファウスト』なのだろう。

年老いたファウスト博士は悪魔メフィストフェレスと契約して若者としてよみがえり若く美しいグレートヒェンと恋をする。幸せだと言った時にファウストの魂はメフィストフェレスのものになる、はずだったが先に死んでいたグレートヒェンの祈りで救済される、という物語は崇高で手塚治虫氏は重ねてこの物語をマンガ化している。

ところが横山氏はこの物語に懐疑的だったのではないか。

若く美しい女性が魂を救ってくれるという『ファウスト』とはまったく違う筋書きになっていく。

そもそもその若く美しい女性こそが主人公の老男・大原剛造を指して「遺産のために結婚してかしずいたんだよ」と口にして若い男と交わっているのだ。彼女だけでなく本作のファウストたる老男には女は与えられないのだ。

 

浮気した妻を憎悪し離婚手続きを弁護士に依頼しようとした老男・大原は途中で奇妙な男に出くわす。

それがこの記事の冒頭にあげた画像の帽子の男である。このビジュアルはなんなんだろう。イメージする狡猾なメフィストフェレスとは真逆のとぼけた容姿でまったく悪魔的な神秘性は感じない。しかし老男に対して持ちかける話はまさにメフィストフェレスと同じだ。「その若い体で再び青春が楽しめる。上手いものを食い女を抱き青春を謳歌できるよ」やはり『ファウスト』なのだがその方法がまったく違うのが横山流なのだ。

「その老いぼれた体を昔のように若返らせるということはできん。だが若い男と身体を入れ替えらせることはできる。ただ交換を承知する男がいればだがね」

ううむ。簡単に「若返らせることはできない」できるのは「承知の上で若い男と身体を交換する」という縛り。

横山マンガの設定はいつもこの「縛り」の上にありそこが物語を面白くする。

 

このすっとぼけメフィストは大原剛造のために「若い男」’(そんなに若くないような)を用意する。

そして二人を会わせモゴモゴと呪文らしきものを唱えて「ヒャアァァ」と手を広げると(このポーズ「ガイアー」ではないか)あっという間にふたりの魂が入れ替わった(この辺は簡単だ。ページが少ないからね)

大原魂は若い男の身体を手に入れ(誤解される)大喜びで去っていく。

 

一方の「若い男」魂の「大原」老体は豪邸に帰りステーキを持ってこさせるが弱い胃はそれを受け付けず苦しみすぐに横たわるはめになる。

そこに若い妻が現れ服を脱ぎ捨てると浮気相手の男も入ってきて目の前でむつみ合う。それを見た老男の心臓は耐え切れず死んでしまう。

妻とその間男は「これで遺産は手に入る」とほくそ笑む。

 

しかしその財産はすべて元の大原剛造によって他人名義になっていたのだ。

若男になった大原は口座から三千万円を引き出し悠々と歩き出すがあっという間に警察に手錠をかけられてしまった。

若男・立山鬼久男は大原になってしまう前に銀行強盗をして行員三名を殺害していたのである。(死刑確定ということだな)

 

あれれ、若く美しいグレートヒェンの救済は?

ないのが横山マンガなのである。

 

昨今も少年マンガでは「可愛い女の子がボクを救ってくれる」的な作品が溢れているのだけど横山マンガには「そんなものはない」

グレートヒェンはいないのだ。

 

かくして横山光輝は最期まで「女性によって救済される」ことを拒否してオリジナル作品を閉じていく。といってもこの作品が終わりではなく一応年表順の『91衛星(サテライト)SOS!!』も持っているので明日はそれについてもう一度書きたい。

 

自分で書いていての気づきなのだけど「横山光輝マンガは女性が出てこない。可愛い女の子が描けない」という論評がよくあるが魔法少女最高峰「サリーちゃん」やキュートな「お銀ちゃん」を描いた横山氏が可愛い女の子が描けないわけがない。

むしろ「女性によって救済されたい」という男たちの願望をあえて退けたのではないかと考えてしまった。

横山氏のファンは女性も多い。

「女によって救われたい」と願う男性作品が多すぎる状況にうんざりする女性たちとって横山マンガはむしろ心地よいのではないだろうか、と今更ながら思わされた。

 

『俺はだれ?』記事、書き始める前には「なんの感想を書いていいやら」と思っていたのだが書き始めたら止まらなくなってしまった。

『俺はだれ?』最初は奇妙でヘンテコな小作品だとつい思ってしまったのだけど読み込むととんでもない作品なのである。

『俺はだれ?』横山光輝横山光輝なのだと改めて思う。他の誰かではない。